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種村直樹氏死去

数年前より闘病生活を続けていたレイルウェイ・ライターの種村直樹氏が11月6日に亡くなった。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201411/2014110700884&g=obt

中学時代に鉄道ジャーナル誌を定期購読するようになり、
種村氏の記事を目にしていくうちに、
その流れで氏の著書の「鉄道旅行術」、「鈍行列車の旅」を購入。
旅先に持参するほど愛読していた。
とりわけ「鉄道旅行術」は乗り鉄としてのバイブルのような存在だった。

今では故・宮脇俊三氏の著作の影響が大きい自分だが、
中学時代は種村氏の影響を強く受けていた。
宮脇氏と共に鉄道趣味の世界において二巨頭ともいえる存在だった。
お悔やみ申し上げます。

阪奈和鉄道めぐり

今年のこの時期も恒例のサンライズ瀬戸による旅だ。
2011年以来GW前半に実施していたのだけれど、
今年は予定が合わず3週間遅れとなった。
昨年一昨年はシングルを予約したが、
今年は3年前と同じく姫路までの短距離なのでソロを予約。

昨年同様ノンアルコール状態で横になりウトウトしかけたところで長時間停車。
時刻は0時過ぎで富士のようである。
車両点検の影響ということらしい。
発車しかけて急停車を繰り返していたような記憶があるので、
足回りのトラブルであろうか。
1時間40分遅れとのカレチ氏のアナウンスだったが、
最終的に姫路には2時間2分遅れで到着。
特急料金は払い戻しされたものの、スケジュールの大幅な調整を余儀なくされた。

列車の遅れが決定的になった頃から、遅れ時間をシミュレートしあれこれ再検討。
おかげでほとんど眠れない状態のまま朝を迎えた。
当初の予定にあった山陽網干線と阪神なんば線には乗車できなくなった。
結局姫路付近で乗る路線がなくなってしまい、
まったく何のために姫路まで行ったのかわからなくなるが、
大阪行きの銀河が廃止になり6年経つ今、
寝台列車で関西方面に出かける唯一の手段とあれば仕方がない。
今回は阪和から奈良エリアの未乗線区乗りつぶしがメイン・テーマである。

3年前にならって駅近くの松屋でソーセージエッグ定食の朝食。
当時解体中だった旧駅舎あたりはすっかり新装のビルが建っていた。
新快速で大阪に運ばれ、御堂筋線を使い南海の難波へ。

難波から空港急行で関西空港へ。
南海は23年前に本線の難波-羽衣しか乗車しておらず、
大手私鉄の中では乗りつぶし率が最低レベルで何とかしようと思っていた。
まずは関西空港に到着して空港線を完乗。
ここにはJR関西空港線も乗り入れている。
特急ラピートを前面に押し出した派手な南海の広告に比べ、
控えめなJR西日本が印象的だった。
日根野まで乗車して関西空港線も完乗した。

Img_1666

日根野から一旦りんくうタウンに戻って南海に乗り換え、
南海本線と多奈川線の完乗を目指す。
近辺の加太線と和歌山港線にも乗りたいのだが、スケジュールの都合で今回は見送る。

関空との間を2往復行ったり来たりして南海本線に戻りみさき公園に。
ここから短い支線の多奈川線に乗り換える。
大阪府内にもこんな場所があったのかと思える鄙びた景色の中、
わずか数分で多奈川に到着。
こはいかに、自動改札でモバイルSuicaが出場できない。
駅員氏によればりんくうタウンのコンコースで、
JRと南海乗り換えのためのカードリーダにタッチしていなかったことが原因との由。
そのまま乗り換えが可能と思っていたのでうっかりした。
南海分の運賃を現金で支払い、JR分はJR駅で処理してくれとのことだった。

Img_1669

和歌山市までの切符を購入してみさき公園乗り換えで和歌山市に到着。
これで南海本線を完乗。
紀勢本線で未乗だった和歌山市-和歌山を乗りつぶす。
片隅を間借りしたようなホームから和歌山までの2駅を移動。
2002年に亀山-多気に乗車してから12年で紀勢本線完乗となった。

和歌山の改札氏に説明してモバイルSuicaの処理をしてもらい一安心。
50分ほど時間があるので駅周辺をぶらぶら歩く。
市街地には細い路地に並ぶ商店街が目立ったが、
恒例のシャッター通りになっているところばかりだった。
そろそろ昼食時で、和歌山ラーメンの有名店井出商店があったが、
行列の長さから次の乗車に間に合いそうもないので回れ右する。
昼食は阪和線ホームの立ち食いうどんのかやくうどん270円で済ます。
安くて味の方はまずまず。

ここから王寺まで和歌山線約2時間半の旅だ。
車両は103系1000番台改造の105系2連。
もう改造後の車歴の方が遥かに長い。今年で30年になる。
常磐緩行線では後継の203系ですら引退してしまっているのだ。
JR西日本は古い車両を実に大事に使っている。

和歌山線は正直言って車窓の魅力に乏しく、平凡な風景に終始し、
寝不足も手伝ってたびたび睡魔に襲われてしまった。
それでもよく晴れて陽射しは明るく、新緑が眩しい5月に救われた。
寒々しい季節で天気が悪かったら気分が滅入ってしまったかもしれない。

和歌山からの乗客は橋本まででほとんど降りてしまう。
すっかり車内が入れ替わり、五條や吉野口で少しずつ増えて高田。
沿線でイベントがあったようでそれらしき集団が目立つ。
ここでもかなり出入りがあって王寺に到着して和歌山線完乗である。

桜井線の発車まで4分しかないので改札を急いで出入り。
こちらも和歌山線同様平凡な田園風景が広がるが、
歴史の古さを感じさせる旧家の数々は味わいがあった。

奈良でも奈良線への乗り継ぎ時間が短いので駆け足で階段を下る。
降り立つのは16年ぶりで高架化されてからは初めてだのに、
221系の快速に乗り込み慌ただしく立ち去ることとなった。
京都からのぞみで帰路についたことである。

あけぼの定期最終列車への思い

現在上野と青森に向かっている定期列車としては最後の運転となった寝台特急あけぼの。
同列車に乗車したのは2001年6月が最初で最後になってしまった。
上野から東能代まで乗り、その後は五能線の車窓を堪能した。

開放B寝台の一角は鷹ノ巣まで帰る熟年夫婦とその奥さんの妹さんと共にすることとなった。
口下手な自分なので交わした会話はそれほど多くなかったのだが、
みかんをもらったり車販の朝食用のサンドイッチを分けてもらったりと、
みちのくの厚い人情を感じさせられたことだった。
新幹線や高速バスでは決して味わうことのないと思われる貴重な体験である。
もう13年も前になってしまったこの良い思い出を大切にしていきたい。

さようならあけぼの。

ブログ開設10周年

当ブログを開設して今日で丸10年となった。
2003年はつい昨日のことのような気がするのに、と思う。

この10年は日本の鉄道界では夜行列車、とりわけブルートレインが激減した10年だった。
さくら、あさかぜ、出雲、なは、あかつき、銀河、富士、はやぶさ、北陸、日本海・・・
国鉄時代から唯一残るあけぼのも来年春に逝ってしまう。

弘南鉄道大鰐線、廃止撤回か?

先月社長自らから廃止の話が出た弘南鉄道大鰐線。
今回それをいったん撤回するとの発表があった。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20130722-OYT8T01928.htm

とはいえ、自治体からの援助は受けずあくまでも自力での再生を目指すとのことで、
乗客減少に歯止めがかからなければふたたび廃止の可能性もある。
同線の今後について注意深く見守っていきたい。

JR四国完乗の旅

気がつけば四国はもう10年もご無沙汰していた。
2003年のGWに土讃線、予土線、予讃線等を完乗して以来である。
つい最近のような気もするのに、やっぱり10年の歳月を感じる。

このたびはJR四国で未乗の牟岐線、徳島線を乗りつぶすべくサンライズ瀬戸の車中の人となった。
一昨年よりGWはサンライズ乗車が年中行事のようになっており、今年で3年目である。
昨年に引き続きシングルに席をとるが、今回は休肝日としゃれ込みノンアルコールで過ごす。
相変わらず1~2時間ほど眠ったような気がしただけだったが、
昨年のように鹿をはねて遅れることなく定刻どおり高松に到着した。

高松駅に降り立つのは1994年以来19年ぶりである。
駅が坂出側に移転し、玉藻城沿いのビル群も姿を消してすっかり様変わりしていた。
時の流れを感じさせてしみじみ。

さて、香川に来たからにはやはり讃岐うどんを食べねばなるまい。
駅近くの味庄というセルフうどん店に入る。
古びた佇まいの店だが、大きな荷物の観光客風の人々で賑わっている。
かけ(小)170円+ちくわ天80円で250円という安さにさすが本場と感心。
味の方もなかなかで大いに満足した。

高松から徳島までは高徳線の特急うずしおに乗る。
高徳線に乗るのも32年ぶり。
そのころの記憶も定かでなく、実質初乗りのようなものだ。
当時はもちろん走っていなかった2000系で快適に運ばれた。
県境付近で峠越えと海がわずかに見える以外は、
おおむね平凡な田園風景が広がっていた。

徳島は新しい駅ビルが建っているが、ホーム上屋や跨線橋は年月を感じさせて好ましい。
牟岐線牟岐まで特急自由席を利用し、その先阿佐海岸鉄道の甲浦まで往復すると通常6000円だが、
事前にネットで調べた阿佐海岸きっぷでは4400円とお値打ちだ。
みどり氏から2枚組の切符をさっそく購入する。

キハ185系の特急むろとで未乗の牟岐線に入る。
沿線は田植えの時期に差し掛かっているようで、
水の張られた田んぼが太陽を反射して眩しい。
四国の風景は明るいと思わされたことだった。
車内も白装束のお遍路さんが見られ、四国はやはり独特の雰囲気がある。

牟岐線は海沿いを行く路線のように思えるが、
途中から山深い中を走るようになり、実際あまり海は見えない。
夏場のみ営業する秘境駅田井ノ浜でちらりと美しい海岸が拝めた。
牟岐で普通列車に乗り換えると1973年開業の比較的新しい路線でトンネルが多い。
しかし牟岐以北よりも意外と海の見える場所が目立った。
高架上の海部駅で牟岐線完乗となった。

線路は阿佐海岸鉄道阿佐東線として2駅先の甲浦まで続いている。
同鉄道の車両に乗り換えて甲浦に出た。
駅は町はずれにあり、周囲は荒蕪地が広がっている。
ホームの先で高架橋がいきなり途切れていた。
国鉄時代には阿佐線として室戸を経由して後免方面に延伸する計画があった。
しかし国鉄末期に計画凍結され、今後延伸されることはないであろう。
駅舎も高架橋の突端に作られており、これ以上進まないことを前提としているようだ。
既に工事が進んでいた中途半端な区間のみ開業した阿佐海岸鉄道は赤字経営が続いており、
いずれ存続の危機が訪れる可能性が高いらしい。

折り返しの列車まで40分ほど時間があるので付近を散策する。
ここはもう高知県である。
しばらく歩くと年季の入った建物が連なる静かな街並みがあった。
神社では祭りの準備が進められているようだ。
おそらく二度と訪れる機会がなさそうな場所。
その風景を目に焼き付けた。

先ほどの下り列車には観光客風の乗客が目立ったのだが、
ほとんどは室戸方面行きのバスに乗ってしまったようだ。
上りの車内は地元のお年寄りが数人だけで閑散としていた。
帰りも同じパターンで乗り換えながら徳島まで戻ったが、
寝不足の身なのでさすがにウトウトとしながら過ごしたことだった。

朝は高松で讃岐うどん、と来れば昼は徳島で徳島ラーメンであろう。
駅近くの麺王という店に入るが、客層はヤングが多く活気がある。
濃いめのスープに細麺の絡む徳島ラーメンの味はまずまず。
生卵をトッピングしてさらに濃厚に。
替え玉も注文して腹一杯になり店を出た。

阿波池田まで特急剣山に乗ってもいいのだが、その後の待ち時間が長くなることもあり、
2時間ほどのんびり普通列車に揺られることとする。
三連休中日の日曜の午後、徳島での買い物帰りと思しき乗客で車内はさらりと埋まっている。
ロングシート部に何とか腰をおろす。
徳島市街を出ると田園が目立つようになる。
このあたりも田植え真っ最中のようだ。
のびやかな景色でリラックスする。
鴨島あたりまで来ると車内も空いたのでクロスシートに移動した。

徳島線は吉野川に沿って走るイメージがあったのだが、
1時間ほども走った穴吹の手前でやっと川が姿を現した。
その後も離れたり近づいたり、四国一の大河をあまり眺められなかったことだった。
対岸には河岸段丘、その背後には山地が東西に延々と続く。
同じような景色の繰り返しに少々飽き始めた頃、土讃線が合流して佃に到着。
徳島線も完乗し、JR四国の鉄道路線完乗を果たした。
四国は路線数、距離とも小規模なのでとりたてて特別な感情はわかなかった。
土讃線に入って一駅先、阿波池田で下車した。

駅前にアーケードの商店街が伸びていたが、
ここも地方都市のご多分に漏れずシャッター通りと化していた。
気分が滅入ってきそうなので早々に引き返す。

岡山行きの特急南風に乗り込み県境を越える。
香川県に入るとさすがにうどん県というべきなのか、麦畑が車窓に目立つ。
宇多津付近は10年前よりさらにマンションやビルが増えたようだ。
瀬戸大橋ではちょうど瀬戸内海に沈みゆく夕陽を拝むことができた。
岡山駅では毎度おなじみの祭ずしを買って新幹線で帰路についたことである。

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江差線部分廃止に沿線自治体が合意

JR北海道が廃止を表明している江差線木古内~江差間について、
先日沿線の3町が廃止に合意した。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20130329-OYT8T00013.htm

これにより上記区間は来年春に廃止、バス転換される。

この区間は12年前のGWに一往復乗車したきりだった。
廃止までにもう一度乗車しておきたい。

周遊きっぷ廃止

国鉄時代からの周遊券を引き継いで、
15年前から発売されていたJRグループの周遊きっぷが来月末で廃止されることとなった。
http://www.jreast.co.jp/press/2012/20130209.pdf

近年は対象ゾーンが大幅に削減されていたうえ、
ルールが複雑なのにもかかわらずJR各社のサイトでも全く解説がなく、
知る人ぞ知る切符化しており、いよいよその時が来たという感じである。

自身もこれまで3回ほどしか利用しておらず、最後に利用したのが2003年GWの四国ゾーンである。
発券が面倒ということもあり、もう10年も購入していなかった。
JR各社で様々な割引切符が発行されている現在、その役目を終えたという感じだろうか。

房総半島ひとまわり

房総半島に残るいくつかの未乗路線。
その中の内房線と東金線に乗りに出かけた。

乗り込んだ総武快速は君津行だけれど、木更津で下車する。
このあたりを訪れるのは2003年6月に久留里線に乗車した時以来である。
気が付けば10年も経ってしまっていた。
つい昨日のことのような気がするのに、時が流れるのはあまりにも早い。
あの頃走っていた113系もキハ35系も姿を消している。
内房線は木更津~安房鴨川間が未乗ということになる。

さて木更津で下車した理由は、かつての名物駅弁バーベキュー弁当を入手するためだ。
現在木更津駅では千葉駅の業者が駅弁を販売しているが、
駅近くにある元の駅弁業者店舗でバーベキュー弁当を購入可能なのである。
店舗はすぐに見つかり550円の弁当を購入した。

駅に戻り安房鴨川行の209系2000/2100番台に乗る。
先頭車のみがセミクロスシートに改造されており、
海側のボックス席を確保したかったのだが叶わず、ロングシート部に腰掛ける。
しばらくは京葉工業地帯の煙突群などが目立つが、
上総湊あたりから海を眺められるようになる。
対岸の三浦半島が手の届きそうな近さに見える。
朝方は晴れていたのにこのころは雲に覆われてしまい、
鮮やかなブルーの海面を拝めないのが残念だった。

10分停車の館山でボックス席が空き、
ちょうど正午を迎えたのでようやく箸を使う。
バーベキュー弁当は大きめの豚肉が4枚ほどご飯を覆っており、
安価な価格を考えると良心的な内容。
味もまずまずで満足して平らげた。
長年木更津市民に愛されてきた理由がわかる気がした。

車窓には既に菜の花がちらほら咲いており、いかにも温暖な南房総らしい。
1か月後くらいに訪れていたら見事な眺めだろう。
海岸線に近づいたり離れたりしながら安房鴨川に到着。内房線完乗となった。

これまた209系の千葉行の電車に乗り込む。
この先の外房線は乗車済みなのだが、
茂原までの区間はなにぶん37年も前のことなのであまり記憶がなく、
ほとんど未乗に近いといえる。
しかしながら昼食後かつ車窓を眺めにくいロングシート部とあって、
どうしてもウトウトとしてしまう。
やっと眠気が去るころは天候も回復し、
大原からいすみ鉄道から乗り換えたと思しき観光客が乗り込んでくる。
まとまった市街地の茂原あたりから新しい住宅が目立ち始める。
この地域ももはや東京の通勤圏に組み込まれているのだろうか。

大網ではわずか3分の乗り換えで東金線へ。
こちらも209系である。
駅を出た直後に旧駅のホーム跡を見ることができた。
昔の駅は千葉方面から外房方面に直通できず、
東金寄りにホームがあったのだ。
丘陵と住宅と田園が混在する。
あっという間に成東について東金線も完乗した。

ここでもわずか4分の乗り換えで総武本線の209系。
房総半島は今や完全に209系の天下になっていた。
今回は乗り換えが絶妙なタイミングばかりで途中下車のチャンスがなく、
乗ったで降りたで駅を増殖できないのが残念なことしきり。
これまでとさほど差のない沿線風景で佐倉に運ばれる。
新緑、田植えの頃なら田園がさぞ美しいことだろうと思う。
佐倉で立ち客でいっぱいになり千葉に到着する。
駅舎の改築工事中で構内は雑然としていた。

このまま帰路についてもいいのだが、
日はまだ高いこともあり、近くの未乗路線2線を片付けることとする。
まずは千葉都市モノレール1号線だ。
1995年8月に千葉みなと~千葉間に乗車したが、
その4年後に県庁前まで延伸し、千葉~県庁前が未乗になってしまった。
千葉市街のビルの谷間をくぐりぬけていく。
ほんの数分で県庁前に到着。非常にあっけなかった。

県庁前から歩いていくとほどなく京成の千葉中央に出る。
次は京成千原線である。
千葉急行電鉄時代の1992年5月に千葉中央~大森台まで乗車したものの、
3年後にちはら台まで延伸してこちらも未乗区間になった。

千葉中央の隣駅、千葉寺周辺は当時造成工事真っ最中で、
丘陵地が一面茶色だった記憶があるが、
今や新しいマンションや住宅で埋め尽くされており、
改めて21年の歳月を感じさせられざるを得ない。
沿線は新興住宅地が広がっているものの、
終点のちはら台は空き地も目立ち、まだ開発途上という感じだった。
ここから先、小湊鉄道の海土有木までの延伸計画があったように思うが、
今ではどうなっているのだろう。

日が暮れかけた京成千葉に戻り、JRに乗り換える。
朝から11時間近い旅路だったが、
ほとんどの時間を209系や217系の固いシートで過ごし、少々苦痛を覚えたことだった。

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国鉄時代vol.32が発売

このたび発売になった季刊「国鉄時代」。
今回の特集は「東京 昭和の日々」である。
首都圏で蒸機、旧型電機、旧型国電を見ることができた時代の貴重な資料だ。

自身は首都圏の蒸機には間に合わなかった世代なのだけれども、
EF15やクモニ13、クモル・クルはよく遊びに行っていた大宮操車場界隈で見た記憶がある。
当時は当たり前のような存在だったので、写真に残していないのが悔やまれるところだ。

9600形が川越線で活躍していた時代の記事もあり、
地元の路線だけにこんな時代もあったのかと感慨にふけってしまう。

国鉄時代 2013年 02月号 Vol.32

ネコ・パブリッシング (2012-12-21)

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