JR西日本、宮島航路を分社化

JR西日本はJRグループで唯一残った鉄道連絡船である宮島航路について、
来年4月より子会社に営業を譲渡する模様。

http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174015_799.html

JRの鉄道路線だけでなく、航路も完乗対象にする人にとっては、
どのような扱いにするか興味深いところである。
ちなみに同航路は自分は未乗区間である。

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急行つやま廃止へ

JRの昼行急行でゆいつ残った「つやま」が来春廃止されるとのこと。

http://www.asahi.com/national/update/1101/OSK200811010124.html

キハ40系を使用した所謂遜色急行状態で、
ここまで生き長らえてきたのが不思議だったが、
とうとう廃止されることとなった。

自身が昼行急行で最後に乗車したのは、
4年前のGWに三次-広島間で乗車した「みよし」だった。
そこで使用されていたキハ58系も今や風前の灯となっている。

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北陸鉄道石川線部分廃止へ

北陸鉄道石川線の鶴来-加賀一の宮間が1年後をめどに廃止される模様だ。

http://www.hokkoku.co.jp/_today/E20081022001.htm

加賀一の宮からは金名線として白山下までの路線があったが、
1984年に休止、1987年に廃止となっている。
両隣の富山、福井と対照的に、鉄道存続には厳しい環境の石川県だけに、
2001年以降におけるのと鉄道の段階的廃止に続き、またもやという感じである。

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秋の烏山線

北関東の短いローカル線、烏山線が未乗のままだったので乗車してきた。
宇都宮で東北新幹線を降り、東北本線ホームの立ち食い蕎麦屋で昼食を終える。
2駅乗った宝積寺で烏山線に乗り換えである。

ホームではキハ40がエンジンを唸らせている。
気動車に乗るのも久しぶりだ。
昨年6月の左沢線以来ではなかろうか。
烏山線のキハ40は全てロングシートでぞっとしないが、
朝夕は宇都宮に乗り入れる列車もあり、通勤通学客で混雑するのだろう。
今は休日の昼過ぎとあり乗客はまばらだ。

沿線は平凡な田園風景と丘陵地帯で特筆すべきことはないが、
5年前に乗車した久留里線を思い起こさせる。
久留里線よりやや山深いようにも感じられた。
沿線一の名所ともいえる竜門の滝は、車窓からは上流にあたるため、
滝そのものを見ることはできない。
滝駅を発車してほどなく、川の流れる先にそれらしき段差を見かけるだけにとどまった。

宝積寺から35分ほどで烏山に到着する。
降りたのは自分も含めて3名ほどと寂しい。
木造駅舎を出ると、バス車庫、タクシー営業所、農業倉庫など、
鉄道模型のレイアウトのような静かな駅前だ。

国鉄のミステリー列車の元祖、銀河鉄道999号の目的地がこの烏山だった。
アンドロメダステーションとして飾り付けられ、
テレビの生中継まで行われたことが懐かしい。
もう29年も昔のことである。

折り返しの列車まで30分ほどあったので、
古びた街並みをのんびり歩き、再び車中の人となった。
宇都宮からの東北新幹線は三連休の最終日とあり、
通路まで立ち客で一杯だったが、
久々にローカル線に揺られ、大いに満足したことである。

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九州ブルトレの最期

昨年11月に朝日新聞が廃止を検討へと報じた寝台特急「富士・はやぶさ」であるが、
毎日新聞がはっきり「廃止」を報じている。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081003dde041040039000c.html

昨年の記事が出た時点で覚悟はしていたが、とうとうその日が来てしまうようだ。Img_0004
はやぶさは未乗だが、富士は16年前に一度だけ乗車した。
まだ食堂車が営業していた頃で、ゆったり夕食と朝食を楽しめた。
食堂車もロビーカーもなくなり、
当時に比べると旅情がなくなってしまった今の「富士・はやぶさ」であるが、
廃止はやはりさびしいものがある。
さよなら僕らのブルートレイン。

拙い写真は26年前にまだ建物がほとんどなかった東戸塚で撮影したものである。

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ムーンライトながら、臨時列車化か

東海道に残る夜行列車、「ムーンライトながら」の臨時列車化を朝日新聞が伝えている。
http://www.asahi.com/national/update/0831/TKY200808310139.html

自分はといえば、かつての大垣夜行の時代に2回乗車しただけで、
四半世紀以上ご無沙汰しているので、今回の件にあれこれ口を出すことはできない。
昨日廃止された「まりも」のように、臨時列車化された後に廃止の道をたどるのであろうか。
10年後、「夜行列車」が死語になっていませんように。

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釧路の駅でさようなら

本日が臨時特急まりものラストランである。
結局一度も乗らずじまいで終わってしまった。
札幌から夜行列車に乗り、一夜明けたらそこは道東や道北の地。
故・宮脇俊三先生が愛したそんな汽車旅も、
もはやかなわないものになってしまった。
さようなら、まりも。

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宮脇先生展を観る

以前も紹介した世田谷文学館で開催中の「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」を見学した。
京王線の芦花公園駅から、瀟洒な街並みを歩いて5分ほど。113_1331
近代的な佇まいの世田谷文学館があった。

平日の昼下がりとあり、それほど混雑しておらず、
1時間ほどをかけてゆっくりと館内を眺めることができた。
先生直筆の原稿、路線図、時刻表、メモ類が数多く展示されている。
とりわけ路線図や時刻表の細やかさに、
元・名編集者としてのプロフェッショナル魂を感じられたことだ。
2002年の北杜夫展に寄せる予定だった未完の原稿も展示されており、
これが先生最後の・・・と思うと胸が熱くなった。113_1330_3

既に色々なところで紹介されているが、
乗車した路線を赤く記していった日本列島の白地図。
途中下車印がびっしり押された最長片道切符。
改めて感動してしまう貴重な展示物の数々だった。

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宮脇俊三先生没後5年

題記のとおりである。
本日より世田谷文学館で「宮脇俊三と鉄道紀行展」が2ヶ月にわたり開催される。
http://www.setabun.or.jp/exhibition/miyawaki/

貴重な資料が多数展示されるようだ。
ミヤワキストとしては必ず足を運ばなければなるまい。

また、長女の灯子さんによる「父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って」が10日に発売された。
昨日買い求めたが、まだ読んではいない。
灯子さんがこの世界に進出することについては賛否両論あるようだけれど、
先生の面影をたどる紀行文として楽しく読みたいと思う。

父・宮脇俊三が愛したレールの響きを追って
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特急まりもが今夏の運転を最後に廃止

臨時列車化されながらも、札幌~釧路間を走り続けていた夜行特急まりもだが、
今年の夏の運転を最後に廃止されることが決まった。
http://www.sanspo.com/sokuho/080418/sokuho055.html

季節列車化されていた利尻、オホーツク(夜行)が、
先月のダイヤ改正で既に廃止されていたことを、恥ずかしながらはじめて知った。

これで道内のみを走る夜行列車は全廃されることとなる。
夕方東京を発ち、札幌から夜行列車に乗って道東や道北の地に降り立つ、
故・宮脇俊三先生が好きだったという旅のパターンは今夏が最後の機会だ。
一度も乗車したことがなかったまりもだが、
今年の夏にお別れ乗車できるかどうか・・・

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名鉄蒲郡線に存廃問題

近年、不採算路線を切り捨てている名古屋鉄道。
昨年末に広見線の部分廃止を沿線市町村に打診したニュースを当ブログでも紹介したが、
今度は蒲郡線に同じような話が持ち上がっているようだ。
http://www.tonichi.net/news.php?mode=view&id=23166&categoryid=1

蒲郡線は2003年12月、翌年廃止予定の三河線末端部を乗車した帰りに初めて乗った。
既に夕暮れ時となっており、あまり車窓は眺められなかったのだが、
港町を結んでいくのんびりした路線だったように思う。

名鉄では今年の暮れにモンキーパークモノレール線の廃止を予定しており、
蒲郡線についても今後の動向が見逃せない。

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寝台急行銀河ラストラン

3月14日をもって寝台急行銀河は廃止になる。
駅まで見送りにいこうかと思ったのだが、
最近は罵声が飛び交い殺伐とした雰囲気になっているとの由で、TVニュースのはしごとなった。

テレビ朝日の報道ステーションではその放送時間帯を生かして、
東京駅からの発車の模様を生中継していた。
最後の発車は非常に感慨深いものがあった。

銀河の59年という歴史を考えれば、
自身の27年間で8回乗車というのはあまりにもわずかな体験ではあるが、
それでも十分な思い出の詰まった列車だった。
もう思い出の中にしか存在しないというのがあまりにも悲しい。
さよなら銀河。
廃止が本当に残念でならない。

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京都から敦賀へ

北陸三県は未だ訪れたことがない。
せっかく京都まで来ているし、まだ日も高いので敦賀に向かうことにした。
福井県の入り口?で北陸にご挨拶である。

時刻表を見て15時40分発の特急雷鳥に乗るつもりで特急券を買い、改札を入る。
どうしたものか、案内表示では16時10分の特急サンダーバードが次の列車として表示されている。
改めて時刻表を確認すると、雷鳥は日曜のみの運転とある。
しばらく遠出をしていなかったせいか、時刻表の臨時列車の表記を見落とすというミスをしたようだ。
何とも情けない思いでホームのベンチに座り、40分ほどを過ごす。
昼間は曇りがちだったが徐々に晴れてきて、暖かい陽気なのは幸いである。

自由席乗り場の前に列ができ始めたため、
そんなに混雑するのかと自分も列に並ぶ。
ほどなくやってきたサンダーバードは、なるほど自由席もほとんど埋まっている。
琵琶湖が眺められる右側窓際の席は確保できそうもなかったのでデッキに立つ。
敦賀までは50分ほどだから、景色の見えない席に押し込められるよりも、
立ったままで車窓を楽しめる方がましだ。
112_1270
湖西線の高架に入ると、電車はスピードを上げて快調に走る。
西大津のあたりはマンションが林立し、ベッドタウン化していることが伺えた。
やがて家々の向こうに琵琶湖が姿を現す。
徐々に琵琶湖が車窓に迫ってきた。
すっかり海沿いを走っている感覚になるが、対岸にそびえる山々が見える。
あれは伊吹山だろうか。下の方は霞んでおり、幻想的に浮かび上がっていた。

田畑の雪が目立ち始め、近江今津を過ぎると完全に雪に覆われるようになった。
空は晴れ渡り、夕日を浴びているものの完全に雪国の様相を呈している。
北陸本線と合流する近江塩津のホームは、112_1272
故・宮脇俊三先生が「最長片道切符の旅」で書いていたように、
ホームにも雪が積もり人影はなかった。

ところが福井県に入ると急に雪が見られなくなった。
周囲の山々には雪が残っているのだが、平野部からはきれいに消えている。
汽車駅の雰囲気がある敦賀駅に降り立ち、駅前に出ても雪は見当たらない。
駐車場の隅に積み上げられた塊があるだけだった。
雪の降りしきる街をイメージしていたので少々拍子抜けである。

街中を散策すると名物ソースカツ丼のヨーロッパ軒という店があった。
以前何かで目にした記憶があり、入ってみたくなったが、
帰りの特急しらさぎの時刻が気になるのと、駅弁を買う予定があるので見送り。
今度敦賀に来る機会があれば、ぜひ入って食べてみたく思う。

敦賀駅に戻り、名物駅弁の元祖鯛鮨の高級版である鯛の舞を購入。
3分遅れでやってきた特急しらさぎは通路側の席を確保するのがやっとだったが、
米原までは30分あまりと短いのでさっそく箸を使う。
鯛鮨は駅弁フェアで何度か買って食べたことがあり、お気に入りの一品であるが、
鯛の舞は木箱に入り、元祖鯛鮨より肉厚になっており、やはり美味しい。
全国の押し寿司の駅弁ではベストではないかと思う。
車窓は暗くなり、琵琶湖の風景はほとんど確認できなかった。
小浜線あたりに乗りにくる時に楽しむこととしておく。

電車の遅れで乗り換え時間が短くなったことと、
米原駅の改良工事で通路が狭くなっていることもあり、
新幹線ひかりの自由席には発車間際にようやくたどり着いた。
既に禁煙車の席はぎっしりと埋まっている。
またデッキに立つこととなってしまった。
しかし名古屋で降りる客が結構あり、何とか座ってあとを過ごすことができた。

家に帰って数えれば、この日は22本の列車に乗った。
昨年1月の関西遠征時の25本には及ばないが、
それでも物好きを感じさせる数字である。

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京都にて

東西線の終点、太秦天神川で電車を降りる。
1月に延長開業したばかりで新しい駅だ。
地上に出て京福電鉄に乗り換えようと思うのだが、線路が見当たらない。
路面に目をやってみると、複線の線路が見えた。
このあたりでは併用軌道となっているのだった。
嵐山方向に少し歩くと、専用軌道にさしかかったところが蚕ノ社駅だ。
しばらく待つと単行の電車が到着。
25年前に乗車した時の記憶はすっかり失われていた。

住宅街を走って嵐山駅に着いた。
土産物屋が並ぶ通りを歩いて嵐山を散策する。
竹林を抜けて山陰本線を渡るあたりは記憶が残っていた。
中国語を話す団体が目立つ。
近年どこの観光地に行ってもよく見かける光景だ。
25年前とは様変わりしてしまったと思う。
112_1254_2
観月橋を渡ると観光客も少なくなる。
細い道を辿るうちに阪急の嵐山駅に出た。
桂駅まで運ばれ、河原町行きに乗り換える。
河原町で下車した頃にはもう1時を過ぎており、昼食を取ろうと思う。
近くに尾張屋という著名な蕎麦屋があるのでそこへ向かう。
店に入り名物という宝来そばを注文する。
出雲の割子そば風に重ねられた椀の一つずつに薬味をのせ、
つゆをかけて食べるものである。
割子そばは4年前に松江を訪れた際、何度か食べているのだが、
この宝来そばは薬味にバラエティがあり、つゆが甘口なのが少々異なるところか。

満足したところで京阪の四条駅まで歩く。
このあたりを訪れるのは11年ぶりだ。
京阪京津線が部分廃止になる直前に発作的に来てしまった。
つい最近のような気がするのにもう10年以上経っているとは信じられない。

四条から出町柳まで運ばれる。112_1258
出町柳で降りて橋を渡る。
鴨川の穏やかな流れが実に京都らしい。
山城国一の宮の下鴨神社(賀茂御祖神社)に参拝した。
参道を取り囲む森は糺(ただす)の森と呼ばれ、世界遺産にも登録された由。
鬱蒼と茂った木々は古来の姿を今に伝えている。
非常によい雰囲気で自然と厳かな気持ちになった。
やはり京都は日本人の魂のふるさとであると感じたことだ。

出町柳から京都駅に向かうには2回乗り換える必要があるのだが、
乗り換えが1回で済む東福寺へ向かった。
特急のテレビカーの車両に乗り、七条で普通に乗り換えて東福寺に降りる。
東福寺からは奈良線で京都まで一駅である。

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大阪から京都へ

銀河で大阪駅に着いたのち、大阪環状線で京橋へ向かう。
17年前、1年前と同じように駅前のマクドで朝食を済ませ、
地下鉄の長堀鶴見緑地線に乗る。
12年前に鶴見緑地まで乗車していたのだが、
その後門真南まで延長されたため、一区間だけが未乗になっていたのだ。
ラッシュとは逆方向のため空いているのではないかと思った車内はかなり埋まっている。
前回乗車時は土曜だったからかなり印象が違う。
それでも少しずつ乗客が降り、鶴見緑地を出るとがらんとした。

門真南で降りて地上に出る。
駅の周囲は雑然として開発途上の雰囲気だが、
すぐ近くに卵型の巨大な建造物が見えた。
なみはやドームと呼ばれ、橋下新府知事に無駄な箱物として槍玉に挙げられているらしい。

すぐに折り返して京橋に戻った。
ここからは未乗路線の片町線に乗る。
近年は学研都市線と呼ばれているようだが、国鉄世代としては片町線の方がしっくりくる。
四條畷行きの各駅停車に揺られ、四條畷からは快速の木津行きに乗り継ぐ。
沿線は郊外の住宅地といった感じだが、
故・宮脇俊三先生が「最長片道切符の旅」で書いているように、長尾を過ぎるとローカル色が強まった。

木津からは奈良線で宇治へと向かう。
ところが同じホームから発車する関西本線の加茂行きに間違って乗ってしまった。
慌てずに時刻表を確認すると次の加茂駅ですぐに折り返す電車があり、
当初乗る予定だった奈良線の電車の一本あとの快速に乗ることができる。
この快速は宇治で上記の電車を追い越すため、
結果的には宇治の到着時間はほとんど変わらないのであった。
それほど急いでいるわけではないし、細かな時間は気にしなくてもよいのだが、
やはり最初に予定したスケジュールが乱れると落ち着かないものだ。

奈良線は26年前に乗車しているのだが、ほとんど記憶がない。
まるではじめて乗った路線のような感覚で宇治まで運ばれた。
車窓は冬枯れの景色だが、ときどき梅や桃の花が彩りを添えた。
宇治駅で下車し、構内の案内図を見て京阪の宇治駅へと歩く。
10分弱ほどで着いた。

京阪宇治線は六地蔵から宇治が未乗である。
六地蔵は24年前の修学旅行で宿泊したホテルの最寄り駅だったことから、
中書島から六地蔵の区間を乗っていたのだった。
名産の宇治茶の畑などを見ながら六地蔵に着いた。

24年前の記憶はあまり定かではないが、
川沿いの道を歩いたことは覚えており、それにしたがって歩いてみた。
ホテルの付近は当時はなかったはずの大きなスーパーが建ち、
周辺のビルも増えているようである。
そして何といっても、当時宿泊したホテルが閉鎖されていたのが印象的だった。
24年という月日はすべてを変えてしまった。

しみじみとしながら地下鉄東西線の駅へとエレベータを降りた。
京都では25年ぶりの(このあたりでは2x年ぶりのことだらけである)嵐山散策を楽しむ予定だ。

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さよなら銀河

いよいよ2週間後に廃止が迫った銀河。
前回書いたように28日夜のB寝台の指定券を入手し、お別れの乗車をした。

途中駅からの乗車なので、既にほとんどの寝台が埋まっている。112_1238
この10数年くらいでは記憶にない乗車率だ。
時間も遅いのでさっそくシーツと枕をセットする。
前回、前々回の乗車はA寝台だったから、銀河のB寝台は10年振りである。
それまで寝台列車はB寝台が中心ということもあり、狭さもさほど気にならない。
寝台に横になり、過去の銀河の思い出を振り返った。

初めて乗車したのは27年前の春休み。
神戸で開催されていたポートピア'81見物に出かける時だった。
当時は20系の狭い3段寝台だったが、
寝台列車に乗ることのできる嬉しさで全然気にならなかった。
通路の椅子に腰掛け、ぼんやり流れゆく夜の景色を眺めて不思議な気分でいた。
いつもは家で眠りにつく頃、列車に乗っている。
そんな非日常の体験を味わった。

以降、1982年、1991年、1996年、1998年、2004年、2007年と乗車してきた。
途中で10年近いブランクもあるし、
平均すると3~4年で1回しか利用してないけれど、
ふらりと関西方面に出かけるには大変重宝したのである。

寝台列車ではなかなか寝付けないのが常だったが、
ここ数日寝不足気味だったので熱海停車の記憶がないまま眠りについた。
途中の運転停車時に何度か目覚めたものの、かなりよく眠ることができた。
熟睡とはいえないまでも、これまでの寝台列車乗車時より快眠できたのではないかと思う。
最後の乗車で一番よく眠れたというのは何とも皮肉である。112_1242
列車を堪能する時間がその分短くなってしまうのだ。

6時20分の放送開始の少し前に目を覚ました。
ハイケンスのセレナーデが何とも懐かしく響く。
朝日を浴びながら大阪駅へ向かう。
淀川の堤防にはぎっしりとカメラの砲列があった。
あと少しで降りてしまうのが名残り惜しい。
このまま何時間も乗っていたかった。

廃止は時代の流れで仕方ないことなのだろうか。
それでも釈然としない思いがある。
国鉄が民営化しても分割されていなかったら、長距離列車はもっと残っていたのではないかと。
今となっては後の祭りである。
112_1246
大阪駅に降り立ち、ブルーの車体をしっかり目に焼きつけて、
ゆっくりとエスカレータでホームを立ち去った。

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寝台急行銀河最後の乗車

来月で廃止となる寝台急行銀河。
週末の指定券を確保することは困難になっているが、
平日ならまだ余裕があるということで、
29日に休みを取って前夜の28日の指定券を確保した。
既にA寝台は最終日までいっぱいで、B寝台となってしまったが、
過去の銀河への乗車はほとんどがB寝台だったから、
お別れ乗車にはふさわしいのではないかと思う。

銀河は愛用した列車とはいえ、27年間で8回の乗車に過ぎない。
それでも自身の寝台列車の乗車では圧倒的に多い数字であり、
列車に対する思い入れは非常に強い。
廃止がつくづく残念でならない。

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夢空間引退

JR東日本側から正式な発表はないが、豪華車両「夢空間」の引退が話題となっている。
下記のクラブツーリズム社によるツアーで周知のこととなった。
http://tour.club-t.com/vstour/WEB/web_tour3_tour.aspx?p_company_cd=1002000&p_course_no=16195&p_date=&p_from=800000&p_disp=&p_afset=&p_AffFrom=&p_baitai=924

1989年の横浜博覧会に展示されたのをきっかけとして、
寝台特急夢空間北斗星などで活躍してきた。
故・宮脇俊三先生も"超豪華列車「夢空間」の一夜"という乗車記を残している
(「旅は自由席」に収録)。
折りしも湾岸戦争開戦の日であった。

自分などには乗る機会が与えられそうもない豪華な車両であったが、
文字どおり夢のある車両が消えていくのは残念である。

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懐かしい電車との再会

久喜の鉄道模型店キングスホビーに行った帰り、
埼玉県の県央から県北の未乗路線をぐるりと回ってみた。
久喜駅の伊勢崎線ホームに降り立つが、太田行きの電車には時間があり、
小腹が空いてきたこともあって、
反対側のホームの「久喜ラーメン」でラーメンを注文。
伊勢崎線沿線の西新井ラーメン、春日部ラーメンが評判が良いらしいが、
久喜ラーメンも昔ながらのシンプルなラーメンで、味のほうはまずまず。

さて、田園都市線からはるばるやってきた電車の乗客を受け、
太田行きの電車は久喜を発車した。
沿線は関東平野らしい殺風景な車窓が続く。
この季節は冬枯れで寒々しさを一層強調する。

20分ほど乗って羽生に到着。
ここで秩父鉄道に乗り換える。
同鉄道では羽生~熊谷が未乗であった。
駅舎は数年前に橋上駅化されたようで、まだまだ新しい。

秩父鉄道のホームに降り立つと、元国鉄101系電車が停まっていた。
最近塗り替えられた国鉄時代の朱色、水色、黄色の編成でないのが残念だが、
車内に入れば淡緑色の壁に青色の座席と、
国鉄時代の内装そのままである。
プレートを見たところ、「昭和37年製造」とあった。
46年前から走り続けている電車だ。

走り始めると甲高いモーター音が唸り、何とも懐かしい。
かつては首都圏の中央、総武、南武等の路線で走っていたが、
今ではこの101系はもちろん、
後継の103系ですら首都圏からは引退してしまった。

車窓は田園風景が広がり、遠くに赤城山らしき山影が霞んでいる。
穀倉地帯らしく、駅前に農業倉庫を構えた駅も多い。
都会の真ん中を走っていた電車が、
今ではこのようなローカル線で活躍している。
第二の人生を応援したくなったことだ。

やがて熊谷駅が近づく。
秩父鉄道の熊谷以遠に乗ったのはちょうど30年前。
当時は国鉄高崎線から直通するみつみね号という電車があり、
それを利用したことを記憶している。
熊谷に到着し、秩父鉄道の完乗となった。
それにしても、あれからもう30年も経ってしまったのかと思う。

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名鉄にまた不穏な動き

2001年以降、鉄道路線の廃止を積極的に進めている名古屋鉄道であるが、
一昨日の報道によると、今度は広見線の新可児~御嵩間を切り離したい意向にあるようだ。
http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000000712120001

沿線自治体に支援策を求めているということだが、
名鉄と岐阜という相性の悪い組み合わせを考えると、
存続は厳しいのではないかと予想される。

同じ岐阜県内でも近鉄養老線は養老鉄道として再出発できたのだが。

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国土交通省が地方鉄道支援へ

一昨日のニュースになってしまうのだが、
国土交通省が法改正により、赤字に悩む地方鉄道を支援する動きがあるとのこと。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071205i301.htm

メインになる新たな上下分離方式は、インフラ部分を自治体が保有・維持し、
鉄道会社は運行のみ行うというもの。
少し前の報道にあったのだが、若桜鉄道がこの方式で鉄道存続を図る模様だ。

しかしながら、道路は国や自治体に整備してもらっていたバスですら、
地方の路線は赤字で次々縮小しているのが現状であり、
この新たな方式を採用しても、赤字に苦しむ鉄道路線が出てくるのではないかという危惧がある。
それでも地方の鉄道路線を維持していくための新たな施策の登場は喜ばしい。

規制緩和により鉄道廃止が届出制になって以降、急速にローカル線の廃止が進んだ。
今回の動きは遅過ぎたような気がしないでもない。
失われた鉄道は二度と戻ってはこない。

個人的な話になってしまうのだが、
中学2年の夏休みの思い出が詰まった、若桜鉄道が存続に向かっているのが何よりだ。

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さよなら僕らのブルートレイン

来春のダイヤ改正で「なは」、「あかつき」、「銀河」が廃止されることになったと朝日新聞が伝えている。

http://www.asahi.com/life/update/1117/TKY200711170276.html

また、「日本海」、「北斗星」は1往復が廃止。
再来年春には「富士」、「はやぶさ」を廃止する意向があるとのこと。

車両の老朽化が放置され続けたことで予想はできていたというものの、
とうとうこの日がやってきたかという感じだ。
銀河は26年前に始めて乗車した寝台列車であり、
それから何度となくお世話になり、今年の1月にも乗車した。
何ともさびしいというほかない。
ブルートレインはもう終わりなのか・・・

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「鉄子」もっと・・・

女性の鉄道ファン、「鉄子」がすっかりメディアをにぎわすようになった。
以前紹介した二人の鉄道アイドルはあちこちでひっぱりだこだが、
まだまだ鉄道好きの女性たちがいる。

まずは鉄道映画女優の史絵.さん。
ホームページ
オフィシャルブログ

鉄道を舞台にしたDVD作品にいくつも出演している。
路面電車とりわけ都電が大好きなようで、ブログの文章や写真からもそれが伝わってくる。

そして鉄道アーティストの小倉沙耶さん。
6年前から活動という結構なキャリアを持つ。
ホームページ
オフィシャルブログ

タンク車や台車に関心があるなど、なかなか渋い趣味だ。
巨大掲示板によれば、「国鉄(JR九州)小倉工場」+「電源車サヤ420」に由来する芸名との由だが、
実際のところはどうなのだろうか。

二人の今後の活躍を期待したい。

季刊から月刊となった旅と鉄道誌では、
このような流れを受けて「タビテツ女子部」というコーナーも設けられた。
少子化や鉄道の斜陽化で、先すぼみもささやかれていた鉄道趣味の広がりは喜ばしい。

旅と鉄道 2008年 01月号 [雑誌]

鉄道ジャーナル社 (2007/12/10)

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鉄道博物館開館

本日、鉄道の日にさいたま市大宮に鉄道博物館が開館した。
あちこちで取り上げられているので、とくに関連ページへのリンク等はしない。
早く見学に行きたいのはやまやまだが、
しばらくはかなりの混雑が予想され、落ち着いた頃に訪れたいと思う。
本日もあまりの入場客の多さに入場中止などの措置がとられたらしい。

テレビのニュース番組でも紹介されていたが、
印象深かったのはテレビ朝日のスーパーJチャンネルである。
同番組のメインキャスターである村上祐子アナがリポートも担当していたが、
「鉄道大好き」とテロップが表示されていた。
鉄子がここにもまた一人。
会場のリポートでも大はしゃぎだった。
既婚者(夫は同僚の西脇アナ)なのが残念であるが。

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夜行鈍行列車からまつ

巨大掲示板の書き込みのおかげで、YouTubeで興味深い映像を見つけた。
若き日の松山千春氏が根室本線を走っていた「からまつ」で、
札幌から池田経由足寄まで帰る映像である。

からまつは国鉄時代に小樽~釧路間を走っていた鈍行列車だが、
寝台車を連結していたので、寝台券の予約のためには名無しというわけにはいかず、
「からまつ」という美しい列車名を命名されていた。
氏はアマチュア時代から札幌との往復にこの列車をよく利用していたらしい。

故・宮脇俊三先生が最長片道切符の旅を広尾線広尾からスタートするにあたって、
札幌から当時広尾線が分岐していた帯広まで乗車した列車でもある。

そんなからまつも廃止されてからもう27年になる。
池田から足寄に向かう池北線も第3セクター化された後、
昨年4月に廃線となったのは記憶に新しい。
根室本線にゆいつ残る夜行列車「まりも」も、
来月のダイヤ改正で臨時列車化されてしまうのが何とも寂しい限り。

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行きつ戻りつ鶴見線

用事が思いのほか早く終わり、京浜東北線に揺られていたが、
このまま帰っても中途半端な時間に思えた。
鶴見駅が近づくと、ふと鶴見線の海芝浦駅を7年ぶりに訪れたくなった。
電車を降り、鶴見線のホームに向かうと海芝浦行きは40分ほど待たなくてはならない。
ほどなく扇町行きが発車するので、とりあえず扇町駅まで乗って折り返し、
適当な駅で海芝浦行きに乗り換えればいいと考えた。

鶴見線そのものは昨年6月に大川支線に乗った時以来である。
タンク車やホッパー車などさまざまな貨車を眺めることができるのも鶴見線の楽しさの一つ。
安善駅のあたりでは、米タンこと米軍専用のタンク車が何両も連なっているのが見えた。
駅に停まるごとに乗客が次々降り、浜川崎駅を出た頃には車内は閑散とした。
扇町駅では折り返し時間が数分しかないので、
急いでSuicaの簡易読取機にタッチして電車に戻った。

海芝浦支線に分岐する浅野駅で下車しようと思ったが、
待ち時間がやや長そうで、どうせならば雰囲気のある国道駅で降りることに決める。
カーブしたホーム、アーチ型の屋根、薄暗いガード下、よい感じの国道駅だ。
国道側の出口を出て高架橋を振り返った。
鉄道模型ちゃんねるで紹介された、太平洋戦争中の機銃掃射の跡を見る。
コンクリートの落下防止のネットに覆われてはいるが、
いくつもの弾痕が確認できた。
終戦から62年、平和のありがたさをかみしめる。

ようやくやってきた海芝浦行きの電車で海芝浦駅まで行く。
車窓は工場と運河が広がる。
7年前も同じ土曜日の午後だったが、海芝浦で下車した乗客はまばらだった。
ところがどうだろう、今回は20~30名ほどが下車する。
駅に直結する東芝に用がある乗客はほとんどおらず、
この駅自体を目的に訪れた人々なのである。
若いカップル、初老の夫婦、高校生のグループ・・・
7年の間にすっかり観光スポットと化してしまったのか。
皆、柵にもたれて海やつばさ橋の写真を撮っている。
今回は急な予定変更だったから、デジカメを持ってこなかったことが悔やまれた。

折り返しまで20分以上あるのでホーム先端の小公園へと向かったら、
どうしたものか昨日の台風の影響で壊れた箇所があり、閉鎖中との由。
しかたなくホームをぶらぶらして時間を潰すが、
打ち寄せる波をぼんやり眺めているだけでも飽きがこない。
首都圏で非日常を味わうことのできる貴重な空間である。
それにしても初めてここに来たのがつい最近のような気がするのに、
もう7年も経ってしまったのかと思う。
歳をとると時間の経過が本当に速くなってしまうものだ・・・

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今は鉄道ブームなのか?

各メディアでは「史上空前の鉄道ブーム」とか「鉄子ブーム」などと煽り立てている。

本当に「来ている」鉄道ブーム
http://www.yomiuri.co.jp/donna/do_070828.htm

果たして本当だろうか。
ブームというからには新規参入組が大量に存在しておかしくないはずだが、
あまりそういった話は聞かない。
NHK教育テレビの番組の影響を受けたとのことで、
「これから鉄道模型を始めたいのだけれど云々」と
模型店の店員に質問していた中年男性は見かけたことがあるが・・・
江戸東京博物館の「大鉄道博覧会」は大賑わいらしいが、鉄道そのもの以上に、
鉄道が交通機関の主役だった昭和中期の文化を懐かしむ人々が多く押し寄せているのではないか。

確かにタモリ倶楽部等で鉄道好きをカミングアウトする有名人が増えてきた。
メディアで鉄道の話題が頻繁に取り上げられるのは、一鉄道ファンとしては嬉しい。
しかし史上空前の~というほどのものなのか。

ブームそのものは否定しない。
鉄道関連でいえば、かつてSLブーム、ブルートレインブームが存在し、
現在30代半ばから40代半ばくらいの鉄道ファンは、
ブルートレインブームに洗脳された世代そのものである。
自身もその一人であることは以前も書いた。

しかしながら、繰り返し述べているように一過性の現象で終わることなく、
鉄道趣味が健全な趣味として認められ、ファンの裾野が広がっていくことを望むものである。
もし今が本当に鉄道ブームなのであれば、そのためのブームであって欲しい。

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信越本線復旧へ

7月の新潟中越沖地震で不通になっていた信越本線柿崎~柏崎間だが、
9月13日の始発列車から運行を再開する由。

http://www.jrniigata.co.jp/unkou-info0913.html

当分は徐行運転となりそうだが、さすがに日本海縦貫線の大動脈、
2ヶ月足らずでの復旧となった。

しかしながら仮設住宅で暮らす人々が大勢おり、街の復旧にはほど遠い状況だ。
一刻も早い被災地域の復興を願うや切。

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青海川駅被災

このたびの新潟中越沖地震で亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。
そして、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

午前中からニュース映像に釘付けになっていたのだが、
最もショックの大きかった映像は青海川駅が大量の土砂に埋もれてしまったものだった。
日本で最も海が近い駅として知られ、3年前の「少女と鉄道」で堀北真希ちゃん、
一昨年の「鉄道乗りつくしの旅」で関口知宏クンが降り立ったのも記憶に新しい。

僕はといえば2回ほど通過しただけで駅に降り立ったことはないものの、
下車してのんびり過ごしてみたい駅の一つだった。

映像を見る限り、単に土砂が覆いかぶさっているだけではなく、
路盤ごと海の方へ流されてしまっているようにも見える。
復旧には多くの時間がかかりそうだ。
日本海縦貫線が長期にわたり寸断されることで、経済活動にも影響は大きいのではないか。
この青海川駅、そして今回被災した地域の一刻も早い復興を願うことである。

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初夏の左沢線

実に5ヶ月ぶりとなる乗り鉄である。
JR東日本エリアの未乗区間も少なくなり、今回はその中の一つ、左沢線に乗る。
いつの間にか改札内に移転していた東京駅の旨囲門で、郡山駅弁の豚肉の女将漬辨當を購入。
つばさの車内で箸を使うが、味噌ベースのタレに漬け込んだ豚肉が実に美味であった。

東北新幹線の車窓はあまり面白みがないが、福島からは奥羽本線そのものを往くため、
板谷峠など魅力ある車窓に事欠かない。
首都圏と比べると空気が澄んでいるからだろうか、空の青さ、木々の緑の眩しさが違うように思える。
東北の風景は実に清々としている。

2時間半以上かけて