北海道行きは中止
本日より北海道に行く予定だったのだが、
諸般の事情により中止とした。
2年ぶりで楽しみにしていたのだが、しかたがない。
来週1週間、夏休みが取れたので2年ぶりの北海道に出かける。
春以降身辺にいろいろなことがあり、心身ともに疲れきっているのだが、
リフレッシュしてきたいと思う。
通常ならば3泊4日のスケジュールだが、上記の理由もあり1日短縮。
札幌と釧路に宿泊する2泊3日となった。
今月末で廃止されるまりもに乗車したかったが、
寝台券は既に入手できず、26年ぶりの座席夜行は今の体にはキツそうで、
あえなく断念するに至った。
故・宮脇俊三先生の好きだった夜行で道東に降り立つ汽車旅を一度体験したかった。
さよなら、まりも。さよなら、道内夜行。
今日は15時過ぎの羽田行きに乗るまではとくに決まった予定はない。
別寒辺牛湿原が見たくなったので、時刻表を開く。
糸魚沢で下車するのがよさそうで、根室行きの普通列車に乗る。
朝食がまだだったが、ホーム上の駅弁売店は開いておらず、
隣のキオスクをのぞくと駅弁ではない弁当が置いてあったので物色する。
白糠ほっき弁当という弁当を買う。
発車時間にはまだ間があったが、席に座るとさっそく箸を使う。
味のほうはまずまず。
やがて発車時間が来て列車が動き出す。
厚岸までの区間は4往復もしており、窓を開けて涼しい風を受けながら
ウトウトしながら過ごす。
厚岸を出ると厚岸湖が車窓右手に迫る。
ここから別寒辺牛湿原にかけての区間は、落石岬を臨む海蝕崖の区間と並んで、
根室本線の釧路から根室間では特筆すべき車窓風景であろう。
湖のほとりを走り、湿原の中を抜けていくのは爽快である。
湿原にさしかかってほどなく、警笛とともに急ブレーキがかかる。
窓から前方を見ると線路上にタンチョウの親子がおり、あわてて飛び立つところだった。
久しぶりにタンチョウを見ることができた。
厚岸~根室間の列車の少なさを物語るハプニングである。
湿原をしばらく走り糸魚沢の駅に着いた。
古い木造駅舎が残されており、好印象の駅だ。
大きなバッグをかついだ青年が一緒に降りたが、駅前の国道を茶内方面に歩いていった。
駅の近くに湿原に近づける場所があるかと思ったが、とくに見当たらない。
空はよく晴れわたり、厚岸まで10キロほどを歩いてもよいかなと考えていたのだが、
大きなトラックがビュンビュン飛ばしていくのを見ると、
歩道もない道を歩いていく気がしなくなり、23分後の上り列車で折り返すこととした。
釧路行きの列車は混雑しており、通路側の席に腰をかける。
またしても警笛と急ブレーキ。
正面の窓を見るとタンチョウの翼がはばたくのが見えた。
さすがに2つの列車で続くと驚きだ。
1時間ほどで釧路に戻った。
ちょうど釧路湿原ノロッコ号の発車が迫っており、釧路湿原駅に行こうか迷う。
そうなると、この列車および釧路湿原駅から行ける細岡の展望台は3回目となる。
釧路湿原は大好きな場所だけれど、3回目ともなると、
最初の時の感動がどんどん薄れてしまいそうで、今回は見送ることとする。
代わりに6年ぶりに釧路市街をゆっくり歩こうと決めた。
北大通を南に歩く。
ご多分にもれず、シャッター通り化が進んでいる。
6年ぶりに幣舞橋を渡る。
出世坂という坂を上り、春採湖に向かって歩く。
6年前の春と同じコースである。
その時に坂の向こうに海が見えるきれいな場所があったのだが、
6年の歳月は記憶を不鮮明にさせており、しばらく周辺を歩き回る。
ようやくそれらしき場所を見つけたが、気温が高いせいか海は霞んでよく見えなかった。
坂を下りて小学校の横へと回りこむ。
春採湖畔の木道を歩く。
陽射しは強いが、日陰に入ると湖から涼しい風が吹きつけて気持ちよい。
昼時になり、湖からほど近い竹老園東家総本店で蕎麦を食べることとする。
店は混雑しており、10分ほど待ったがほどなく座ることができた。
名物のかしわぬきと蘭切りそばを注文。
かしわぬきは文字どおりかしわそばからそばを抜いたもの。
鶏の出汁がしみ込んだおいしいスープだった。
レイルウェイライター氏も絶賛している一品である。
蘭切りそばは卵を練りこんだ黄色いそばで、麺は細く上品な味わいだ。
並では少々物足りなく感じ、大盛りでもよかったかと思う。
大満足で店を出て、坂を上った富士見3丁目バス停から釧路駅までバスで戻った。
空港行きバスまで時間があり、ラーメンを食べることとする。
駅前にあった海皇というラーメン屋が辰巳という名称に変わっており、
その店で味噌ラーメンを食べた。
空港まで乗ったバスは冷房が故障中ということで、運転士氏がしきりに恐縮していたが、
開け放たれた窓から入る風は心地よく、不快ではなかった。
それでも地元の人にとっては暑いのだろう(この日の最高気温は25度ほど)。
羽田までの便は台風の影響が心配されたが、それほど揺れることもなく無事到着。
浦和から6人がスターティングメンバーに名を連ねるという画期的な、
日本vsトリニダード・トバゴ戦開始にも間に合ったことである。
これまでの北海道旅行では湖をゆっくり見る機会がなかったので、
今日は阿寒湖と摩周湖を見学することとした。
まずは朝食ということで、朝から和商市場の勝手丼をおごる。
具はイクラ、イカ、ホタテと比較的シンプルにしてみた。
最近は観光化され過ぎという批判はあるが、北海道で食べるイクラはやはりおいしい。
昨日はラーメンを食べなかったこともあり、朝だというのにラーメンが食べたくなる。
和商市場隣の釧路朝市内にある魚一であっさり醤油ラーメンを注文。
いわゆる釧路ラーメンで朝でもおいしくいただけた。
C58が保存されている幸町公園で一休みする。
空はよく晴れ、釧路にしては朝から気温が高く、暑い一日になりそうだった。
釧路駅前より阿寒湖畔行きのバスに乗り込む。
釧路市街を抜けると森林と原野が広がる。
美しい景色ではあるが、ずっと見ているとやや飽きてきてウトウトとしてしまう。
気がつくと人家が目立ち始め、阿寒市街を通る。
周囲を山が囲むようになり、上り坂が続くようになる。
この頃から雲が目立ち始め、天気が気になった。
釧路から2時間、ようやく阿寒湖畔に到着する。
土産物屋街、ホテル街を抜けてボッケの見学に向かう。
鬱蒼とした森林を抜けると独特の臭気が漂い、「ボコッボコッ」という音が聞こえる。
ボッケとは泥火山で水蒸気などが地上に噴き出す場所である。
周囲の砂浜も水蒸気で熱くなっているらしく、立ち入り禁止になっていた。
雲が陽射しを遮り、雄阿寒岳の頂上にも雲がかかっていた。
土産物街に戻り、蕎麦屋で昼食とする。
無難なメニューといわれるカレーライスを食べたが、
いかにもレトルトな肉の塊が入った甘口のカレーだったことである。

13時発の観光汽船に乗り込む。
最近の北海道は外国人観光客が多いといわれているが、
中国語が飛び交うグループ客が大量に乗り込み、なかなかにぎやかだった。
再び陽射しが射すようになり、キラキラと反射する水面がまぶしい。
周囲は原生林に覆われており、これだけの自然が保全されていることが何とも素晴らしい。
頂上の雲が取れて全景を現した雄阿寒岳、雌阿寒岳のシルエットが美しかった。
観光汽船はチウルイ島に立ち寄り、マリモ展示観察センターでマリモを見学する。
予想以上に大きいマリモもあり、感心させられる。
マリモの生態はまだまだ謎が多いとのことだ。
観光汽船を降り、バスセンターから阿寒パノラマコースのバスに乗る。
乗客は自分以外に男性が一人で、
阿寒湖と摩周湖という大観光地を結ぶ路線としては少々寂しい。
バスで走り始めると空に黒い雲が増え始め、美しい山々も見えにくくなる。
周囲にはひたすら原生林が続く。
急なヘアピンカーブをいくつも過ぎ、やっと平坦な道に出る。
森林地帯を抜け、弟子屈市街を過ぎ、摩周駅前に到着。
ここでもう一人の男性が下車したが、
新たに二人の男性が乗り込み、貸し切り状態はまぬがれた。
観光客目当ての店が並ぶ道を上っていく。
かなり高いところまで来て、摩周第一展望台に着いた。
摩周湖は霧にうっすらと覆われ、かろうじて全体が見渡せる状態である。
しかしながら神秘の湖らしく良いのではとも思った。
ずっと曇っていたのだが、この時だけは陽射しが復活したのが幸いだ。
湖面が青い空を映し出し、ぼんやりと霞んで実に幻想的だ。
これほど美しいものを作り出した大自然に感謝したい。
ずっと眺めていたい気分だったが、バスの発車時刻となり展望台を後にする。
この場所でも中国語が盛んに飛び交っていた。
川湯温泉駅での列車の乗り継ぎ時間が短く、少し心配だったのだが、
ちょうど列車が入線してきたタイミングで駅前に到着。
釧路行き単行のキハ54に乗ることができた。
この時期なので当然ながらクロスシートはすべて埋まり、ロング部に腰掛ける。
釧網本線の車窓の美しさには定評があるが、既に乗車済みであることや
曇りがちな夕刻ということもあり、景色が見にくいことはそれほど気にならなかった。
それでも塘路駅あたりから窓を開け、体を捻って夕暮れの釧路湿原の眺めを楽しんだ。
夕食はまたしてもラーメンである。
市中心部にある河むらという店で醤油ラーメンを食べる。
あっさり系のスープでなかなかいけた。
札幌からスーパーおおぞら1号で帯広に向かう。
士幌線の廃線跡をバスで辿って十勝三股を往復し、夜は釧路に泊まる予定だ。
天気予報は晴れなのだが、雲が空一面を覆い、陽射しはあまり強くない。
振り子特急は快適に飛ばし、2時間16分で帯広に到着した。
旧士幌線の転換バスは現在は糠平までしか行かないのだが、
3年前より三国峠経由の帯広~旭川の都市間バスが走るようになり、
そのバスが十勝三股に停車するようになった。
乗客がまばらなバスは帯広市街を走りぬけ、十勝平野の田園地帯を進む。
廃線跡はバスの車窓からは確認できない。
やがて山が迫り、人家はまったく見当たらなくなる。
「ヒグマ出没 注意」という大きな看板がたびたび見られるようになり、
北海道の大自然を実感する。
かなり険しい地形となり、このようなところまで本当に鉄道が通っていたのかと思う。
やがて小さな集落が現れると糠平である。
山間のひなびた温泉町という感じだ。
車窓右にちらちらと糠平湖が見られるようになる。
いくつものトンネルをくぐる。
音更川に架かっていた士幌線のコンクリート橋が一瞬確認できた。
列車からは美しい車窓が楽しめたことであろう。
士幌線が存在していた頃、それも末端区間がバス代行になる前に乗りたかった。
周囲が開けた場所に出ると、そこが十勝三股である。
僕以外にもう一人男性が降り立ったのだが、
大きなバッグから自転車を取り出し、手際よく組み立てると北の方向に走り去った。
誰もいなくなった十勝三股は、ときおり通る車やバイクの音以外は、
鳥と虫の鳴き声だけが聞こえる静かな場所だ。
林業が盛んだった昭和30年代に人口が1000人以上あったこの地も、
現在ではわずか2軒の家を残すだけとなってしまった。
そのうちの1軒、三股山荘で昼食を取るとともに、
展示されている士幌線の資料等の見学をする予定だった。
しかし何ということか定休日の由。
帯広行きのバスが来るまでの1時間半あまり、周囲をぶらぶらして時間をつぶすしかない。
空は雲が広がっており、陽射しは弱々しい。
比較的涼しいのはありがたいが、大雪山系のシルエットが雲に隠されていたのは残念。
まずは十勝三股駅跡に向かう。
現在は木道とあずまやが作られているが、周囲は空き地が広がっている。
1ヶ月くらい前ならば一面にルピナスが咲き乱れて美しかったのだろうが、
今はわずかに残った花を楽しむのみである。
雑草をかきわけながら廃線跡を帯広方面に辿ってみる。
ほどなく門が設置されており、行き止まりとなっていた。
それにしてもアブの攻撃には閉口させられる。
夏にここを訪れる人は、虫除けスプレーを準備しておくことを強くお薦めしたい。
バス待合室に設置されているノートを眺めるが、ここにもアブが入り込んで落ち着かなかった。
帰りのバスではさすがにウトウトとしながら過ごした。
帯広は十勝三股よりも陽射しは強く、昨日の札幌並みの暑さだ。
とにかく昼食をということで、駅前のぱんちょうで豚丼を食べる。
帯広名物の豚丼は何種類かあるらしいが、この店は厚手の肉を使い、
タレが少なめのタイプだった。
味はまずまずで満足して店を出る。
暑いのでしばらく帯広駅の待合室で休憩し、旧広尾線の分岐部分を見に行く。
高架橋に沿って歩いているうち細長い空き地が右手に分かれていく所に来た。
その先は遊歩道として整備されているようだった。
帯広からスーパーおおぞらで釧路に向かう。
沿線は景色の良いところが多いのだけれど、
朝早かったのと既に3回乗っている区間とあって、ほとんど居眠りしながら過ごしてしまった。
釧路は札幌や帯広よりはさすがに涼しいが、今まで訪れた中では一番気温が高いように感じられた。
駅前のつるやという定食屋でイカ刺し定食の夕食とした。
ここは3度目の訪問になる。値段の安さでライダーらに有名な店のようだ。
正午過ぎに新千歳空港に到着。
今回の旅行は3泊4日で、札幌1泊、釧路2泊の予定である。
札幌までは何度も通っている区間なので、うとうととしながら過ごす。
まずは昼食をということで、おなじみのらーめんてつやへ向かう。
昨年も指摘した脂っこいスープはやはり変わっていない。
6~7年前に食べた時のコクのある味わいは戻ってこないのか。
昨年新札幌の店で食べたスープカレーの一灯庵だが、
今年は本店を訪れることとした。
ラーメンを食べたばかりだが、てつやからほど近いところにあるため、
そのまま直行した。
いまやすっかり全国区となった大泉洋氏もお気に入りの店だという。
色々なところで紹介されているとおり、なるほど隠れ家という感じで、
住宅街の中の分かりにくい場所にある。
細い路地を入っていった奥の民家そのものの店である。
店内も民家の座敷となっている。
窓際の席に座ったのだが、冷房がなく、開け放たれた窓から庭が臨める。
店で食事をしているというより、遊びに行った家でごちそうになっている気分だ。
昨年はチキンだったので、今回はポークを注文。
スープカレーはおいしく、店の雰囲気ものどやかで満足した。
このあとホテルにチェックインするまでフリーだが、
これまで訪れていない場所を回ることとした。
市電を西4丁目で降り、大通り公園、道庁レンガ庁舎を通って、
北海道大学植物園に行った。
市内中心部にありながら貴重な自然が残るこの植物園は、
以前から訪れてみたい場所のひとつだった。
花のピークは6~7月頃のようで、そちらは楽しめないが、
鬱蒼と茂る各種の樹木に囲まれて、しばし森林浴としゃれ込んだ。
その後、一部の人々には聖地と呼ばれる平岸高台公園へと向かう。
地下鉄南北線の南平岸で下車し、坂道を登っていくと右側に公園が見えてきた。
上記の大泉洋氏が出演していた「水曜どうでしょう」で有名になった場所なのだ。
番組のファンなのか、記念写真を撮っているグループなどもいる。
やはりここは聖地なのであろう。
HTB(北海道テレビ)の局舎も近くにあり、
局のキャラクターとしてやはり有名になったonちゃんが屋上に鎮座していた。
今日の札幌は最高気温32度と今年一番の暑さとなり、
暑さに慣れているはずの関東内陸部出身者でもさすがに辛くなった。
大通り公園や平岸高台公園など、公園で一休みするたびに水分補給に励んだ。
それでも狸小路の模型店?「中川ライター店」に立ち寄り、
探していたNゲージの貨車を買ってしまったのは、何とも物好きというほかあるまい。
ホテルで一旦休憩し、夕食もラーメンと決めて、1年前にも訪れたラーメン道へと出かける。
地下鉄東豊線元町駅からバスに乗り換え、ラストオーダー間近の店内に入る。
みそ野菜ラーメンを注文。おいしくいただいたことだった。
ホテルに戻り、北海道で必ず買うサッポロクラシックを飲みながらブログの更新となった。

必見
絶対お勧めです!!
俳優たちの演技に、涙の時間が続くいよいよJR九州完乗の日である。
高見馬場電停から市電に乗り、鹿児島中央駅前で下車する。
ここは軌道敷に芝生が植えられており、ヨーロッパの路面電車のようで美しい。

発車間際だったので九州新幹線つばめは通路側の席だったが、
元々車窓に期待できない路線なのでまあよし。
木製シートに西陣織のモケットなど落ち着いた内装が好感触。
川内のみ停車の列車なので、あっという間に新八代に着いてしまった。
これでJR北海道に続き、JR九州も完乗となったのだけれど、
自由席だったので慌しく向かい側ホームのリレーつばめに乗り込むほかなく、
感慨に浸る暇もなかったことである。
できれば前日の志布志駅あたりで完乗したかったというのは贅沢なのかもしれない。
九州には延べ8回の訪問での達成となった。
結局リレーつばめでは座れず、熊本まで20分ほどをデッキで立って過ごした。
つばめとそれを受けるリレーつばめの座席数のバランスはきちんと考慮されているのだろうか。
小さい子供のいる家族連れもデッキで立たされていた。
GW中の五連休最初の日という混雑がピークの時期とはいえ、いかがなものか。
JR九州には苦言を呈しておく。
僕が熊本で下車したとき、そこから乗車しようという乗客が長い列を作っていた。
すぐに階段を上がってしまったので未確認だが、あの列が全員乗り切れたのかどうか。
その熊本駅であるが、ホーム横に立っていた煉瓦造りの機関庫がすっかり解体されていた。
九州新幹線工事に伴うものである。
がらんとした更地がわびしかった。
そこから普通列車に乗り換えて上熊本に降り立ったが、
こちらの明治以来の木造駅舎も既に解体されてしまっていた。
一昨年放送のNHK「最長片道切符の旅」でも紹介されたのだが、何とも残念である。
旧駅舎の一部の部材は隣接する市電電停の上屋に転用予定との由だが、完全保存してもらいたかった。
ここからは熊本電鉄を完乗する。
かつては菊地まで走る路線だったが、20年前に御代志までの半分ほどの距離に短縮された。
上熊本駅で待っていると元東急の5000系を両運転台化した車両が現れた。
北熊本までの間を単行で運行しているようである。
沿線は住宅街が切れ目なく続くが、途中駅での乗り降りもあまりないまま北熊本に着いた。
北熊本から乗り換えた電車は妙に懐かしい。
かつて都営三田線で走っていた元東京都交通局6000形の電車であった。
勾配区間と小さなカーブがいくつも続き、車輪を軋ませながらのろのろ走る。
並行する道路を走る自動車が追い抜いていくのが切ない。
地下鉄線内を快走していた時代から思うと、あまりにかけ離れた第二の人生であった。
次第に緑が多くなり、のびやかな景色が広がる。
今日はよく晴れ、汗ばむ陽気だ。
終点の御代志に到着する。
無人駅でホームの片側を鉄道、別の側をバスが使用している。
再び北熊本まで戻り、20メートル級の元地下鉄車両が走るのが信じられないような、
狭い道路の併用区間を通り、藤崎宮前駅に到着した。
パチンコ屋に庇を貸して母屋取られる状態なのが空しい。
熊本電鉄LRT化計画の記事を以前書いたのだが、
行政の支援を受けられなければ鉄道廃止というかなり切羽詰ったもののようだ。
沿線は熊本の住宅街を結んでおり、
LRT化で利便性向上を図れば乗客増も期待できるのではないか。
実現できることを願ってやまない。
熊本での残りは熊本市電の未乗区間、通町筋~健軍町に乗ることである。
その前にちょうど昼時でもあり、
藤崎宮前駅からほど近い著名な熊本ラーメン店こむらさきでラーメンの昼食とした。
豚骨スープではあるがそれほどくどくなく、以前札幌で食べたとん塩を思い出した。
アーケードを歩いて通町筋電停から市電に乗り込む。
床が木製の古びた電車であった。
広い通りに市街地が延々と続く。
かつては福岡を上回る九州第一の都市だったことがうかがえる。
現在JFLのロッソ熊本とJ1アビスパ福岡が対戦する日を楽しみにしたく思った。
健軍町もなかなかの繁華街で熊本の市街地は奥が深い。
電車を1本見送ってやってきたのは2000年暮れにも乗った低床式電車である。
低い視線から街並みを眺められるのが楽しい。
しかし同じ区間を折り返すとあって、時折りうとうとしながら過ごしてしまった。
熊本駅前で下車し、ラーメン店のはしごをすべく駅近くの黒亭に向かったが、
十数人の行列を見てしまい、すぐに回れ右した。
2000年暮れに訪れた時には待たずに入れたくらいなのだが、
この5年余りで何かあったのか。さすがにGWということなのか。
色々考えながら駅に戻り、特急有明で博多まで運ばれた。
博多駅前は博多どんたく会場として賑わっていた。
説教大好き武田鉄也率いる海援隊がステージに登場し、母に捧げるバラードを歌っていた。
その歌がバックに流れる中、空港に向かって地下鉄の階段を下りたことである。
今日は日南線と大隈線転換バスに乗るだけである。
日南線の本数の少なさと遅さもあり、やや非効率な一日だ。
無料サービスの朝食をホテルでとり、宮崎駅の高架ホームに上がる。
やってきたのはキハ40とキハ31の2両編成だが、キハ31は次の南宮崎で切り離すとの由。
田吉までは2003年末に乗車しているから、その先が未乗になる。
空は雲が多いが、昨日より陽射しは強い。
道路沿いや駅前には亜熱帯性の木が植えられて南国ムードを盛り上げる。
内海、小内海あたりからようやく海が望めるようになった。
4年ほど前に流れていた緑茶飲料のCMのロケ地だったのが印象的だった伊比井を過ぎる。
北郷から小学校低学年と思しき集団が乗り込んで車内がにぎやかになる。
おそらく普段はマイカー利用でほとんど鉄道を利用する機会はないのだろう。
珍しさに興奮している様子が伝わってきてほほえましい。
この中から少しでも鉄道に興味を持つ子が現れてくれますように。
この列車は終点の志布志には行かず南郷どまりなので、飫肥で途中下車と決めてあった。
志布志行きの列車が着くまで1時間半ほど、今回の旅ではゆいつ観光らしい観光をする。
小さな城下町の飫肥は商店街の建物を白壁造り風に改装を進めている。
その表通りから一歩入ると、石塀に囲まれた武家屋敷街が広がった。
堀には鯉が泳ぎ、心を和ませる。
時間があまりないので資料館の類や城跡の見学はあきらめ、
武家屋敷が点在する風致地区を散策する。
緑が多くゆったりした敷地に、古びた家々が立ち並ぶ通りは非常に心地よい。
慌しい今回の旅の中、ひと時の安らぎを得た。
陽射しが強くなり汗ばむほどだったので、冷たいそばと名物のおび天の昼食とした。
おび天はさつま揚げに似ているが、豆腐と黒砂糖を使っているので、
ふんわりと柔らかく味が濃厚だった。
飫肥駅に戻り、日南線の旅を続ける。
海岸線に近づくとすぐにトンネルに入り、あまりじっくりとは海を見せてもらえない。
その繰り返しが続いたためか、睡魔に襲われるようになり、うとうとしながら過ごす。
さらりと埋まっていた車内も串間で大量の下車があり、がらんとしてしまった。
宮崎と鹿児島の県境が近づいており、T村先生言うところの県境現象であろう。
志布志で降り立った乗客はわずかだった。
かつては日南、志布志、大隈の三線が集まるターミナルだった志布志駅も、
今では敷地が縮小され、大部分はスーパーマーケットや公園に変じてしまった。
機関区も備えた鉄道の敷地はそれだけ広かったのかと思う。
予想していたとおり、鹿屋方面のバスにはうまく乗り継げなかったので1本後のバスとなる。
バス乗り場が駅前にないため、数分の乗り換え時間では無理そうだったのは想定内だった。
近くの鉄道記念公園に行く。
C58蒸気機関車と車掌車ヨ8000、それとなぜかキハ52気動車が連結されている。
C58とヨの保存状態はよかったのだが、問題は最後尾のキハ52である。
塗装はひび割れ、錆があちこちに回っている車体は何ともぞっとしない。
このままでは数年後に解体されてしまいそうだ。
さて、ここからは旧大隈線転換バスに乗り、大隈線完乗?を目指すこととする。
志布志から国分まで直通するバスはないので、鹿屋で乗り換えることとした。
旧鹿屋駅跡は鹿屋市役所前バス停となっているため、そこで乗り継げれば都合がよいが、
乗り継ぎ時間等の関係で鹿屋バスセンターで、国分駅前を経由する鹿児島空港行きバスに乗り継ぐ。
大隈線の跡を辿るとはいえ、バスの車窓からは特に見るべきものもない。
田園地帯や郊外ロードサイドな風景を見ながら1時間ほどで鹿屋バスセンターに到着。
老朽化で建替えが噂されているようで、古びたビルである。
周辺の建物も最近の地方都市の例に漏れず、市街地空洞化でシャッターを閉じた店が多い。
たびたび内容に言及しているが、故・宮脇俊三先生の「最長片道切符の旅」に登場する
5階建てのデパートも既に解体されてしまったらしい。
市街地再開発のビルが建設中だったのが希望の光といったところか。
鹿児島空港行きのバスに乗り込み、市街地を抜けると急坂を下り、錦江湾が眼下に広がる。
鉄道はこんな急な勾配を通れないから、どのあたりを大隈線は走っていたのか。
定かでないまま、バスは海沿いの道を延々と進む。
西日を浴びながら海岸線を走っていると、
ちょうど1年前に島原半島の西海岸をバスで走ったことを思い出す。
つい数ヶ月前のような気がするが、もう1年経っているとは・・・。
やがて左手に桜島がダイナミックに姿を現す。
大隈線が現役の頃に列車から見てみたかった。
山側にところどころ築堤らしきものが見える。
これが大隈線の跡なのだろう。
海にもそろそろ飽きてきた頃、内陸部に入って国分駅前に到着する。
ギリギリのタイミングで鹿児島中央行きの電車には乗れなかった。
ホームにぼんやりと座って30分後の電車を待つ。
これも予想していたことではあるが、
どうも非効率な一日のままで終わってしまったようで少々うんざり。
おまけにやってきた2両編成の817系電車は満席で、
鹿児島中央までの40分あまりは立ちんぼで過ごす無聊となった。
宮崎~鹿児島中央は特急きりしまで2時間あまりのところ、
列車4時間、バス3時間をかけてたどり着いたことになる。
これも乗り鉄の性でいたしかたなし。
天文館近くのホテルにチェックインし、夜はくろいわで鹿児島ラーメンを食した。
まずは西鉄大牟田線を完乗するため、ホテルを出て西鉄福岡へ向かう。
朝のラッシュ時とあって混雑しているが、さすがに首都圏よりは余裕がある。
大牟田行きの特急に乗りこむ。
転換クロスシートの並ぶ車内は立ち客も結構あった。
西鉄二日市までは8年前の夏に乗車しているのだが、その先が未乗となっていた。
沿線は特筆すべきところもないが、天気がどうもすっきりしない。
予報は晴れのはずだったが雲が厚く、薄日が射す程度である。
西鉄久留米で大量に下車し、車内は閑散とした。
車窓にクリークが目に付くようになると、西鉄柳川である。
水郷地帯なのだけれど、水田ではなく麦畑が目立つのがちょっと不思議である。
西鉄福岡を出て1時間あまり、どことなく煤けた大牟田に到着した。
次はJRの久大本線に乗るために大牟田から引き返す。
本来なら分岐駅の久留米まで戻ればよいのだけれど、
かしわうどんとかしわめしに心惹かれ、鳥栖まで戻る。
かしわうどんを朝食とし、昼食にかしわめしを買う。
鳥栖からは特急ゆふいんの森に乗車する。
JR九州の誇る観光列車とあって、車内はグループ客中心でにぎやか。
フリースペースも多く配されていて遊び心が一杯だ。
現在の日本の列車では数少なくなった供食施設(ビュッフェ)があるのが貴重である。
昼時にさしかかるとあって、ビュッフェは弁当などを求める客で盛況だった。
故・宮崎俊三先生が「最長片道切符の旅」で書いていたとおり、
植木や柿の木が目立つ車窓を列車が往く。
日田からは未乗区間となるが、山あいの渓谷がのびやかな眺めだ。
賑わいが一段落したのを見計らってビュッフェに向かい、コーヒーを求める。
席に戻って飲んでもいいが、車窓に向かって机と椅子が並ぶサロンでくつろぐ。
汽車旅の楽しさを教えてくれる素晴らしい列車だ。
乗客はみな満足している様子だった。

やがて個性的なシルエットの由布岳が見えてきて由布院駅に到着する。
さすが一級の観光地だけあって乗客はほとんどここで下車した。
僕の乗っていた車両には数人が残るのみとなった。
回送列車のような状態で残りの区間を運ばれた。
日豊本線には大分で乗り換えればよいのだが、
特急にちりんは始発駅から乗りたかったので別府まで乗りとおす。
鳥栖といい別府といい無駄が多いようだが、
どちらにせよ同じ列車に乗ることになるので、料金は別として時間のロスはないわけである。
別府からの特急にちりんは、特急ソニックからの乗り換え客を加えて車内はさらりと埋まった。
日豊本線は大分から宮崎までの区間が未乗である。
大分は高架化工事が始まっており、駅の前後に高架橋が立ち上がっていた。
しばらくは遠くに工業地帯を見ながら進む。
大分もずいぶんとマンションが多い。
臼杵を過ぎると美しい海岸線が見え隠れする。
今回は乗りつぶしを優先するため途中下車できないが、
臼杵で下車して石仏を見てみたかったと思う。
佐伯からは徐々に山間部へと入っていく。
いわゆる宗太郎越えの区間である。
かなり山深いサミットを越えると少しずつ風景が開けてくる。
日向の国に入ったが、空は雲に覆われたままである。
高千穂鉄道の列車が発着していた延岡に着いた。
座席が反対側だったので、高千穂鉄道の乗り場は詳しくはうかがえなかった。
神話高千穂トロッコ鉄道の運行再開はGWに間に合わなかったのが残念だ。

車窓左手に海岸線が現れ、さらに黒ずんだ高架線が平行し始める。
かつてのリニア実験線跡である。
畑の中で唐突に高架が途切れていたのが印象的だった。
別府から3時間あまりで高架の宮崎駅に到着した。
福岡から宮崎まで約9時間かけてやって来たことになる。
ゆふいんの森が楽しかったためか、それほど疲れは感じなかった。
宮崎は2003年暮れ以来2年4ヶ月ぶりとなるが、
もうそれほど経ってしまったのかと思う。本当に月日の経つのが早くなった。
駅前のホテルに荷を解き、前回食べ損ねた宮崎名物のチキン南蛮を味わったことだった。
羽田からのジェットはやや遅れて福岡空港に到着。
空港内の店でうどんの昼食とし、地下鉄で天神に出た。
コインロッカーに荷を預けて身軽になり、再び地下鉄で貝塚に向かった。
部分廃止が発表された西鉄宮地岳線を8年ぶりに再訪する。
貝塚を発車した2両編成の電車は車内がぱらぱらと埋まる程度。
西鉄香椎付近の高架化工事はほぼ完成しており、来月中旬から切り替わるようだ。
部分廃止後の終点となる西鉄新宮を過ぎても、さらに住宅地が続いている。
西鉄古賀付近にはマンションも目立ち、とても廃止対象区間とは思えない
(並行するJR鹿児島本線の古賀駅の近さを後で知ることになるが)。
しかし乗客はどんどん減っていく。
終点津屋崎の一つ手前の宮地岳で数人が下車すると、車内は僕を含めて2人だけになった。
日中でも13分間隔という本数の多さを考えると、
一列車あたりの人数は少なくなるのかもしれないが、GW中の日曜の午後としてはやはり少ない。
周辺に住宅はそこそこあり、それほどJRに流れる数が多いのか。
それともマイカー利用が中心になっているのだろうか。
宮地岳線はもはや住民から見放されてしまっているのかもしれない。
のどかな津屋崎駅に到着し、駅のそばに「電車延長記念」と彫られた古い石碑を見たとき、
なんだか寂しい気分に包まれたことだった。
津屋崎駅からほど近い砂浜をのんびり歩く。
とても明るく晴れた日だったが、気分は複雑である。
駅まで戻り切符を買う。
委託されたおばさんが小さな売店から出改札まで一人で切り盛りしているのも、
8年前と変わりなかった。
帰りは西鉄古賀駅で下車し、JRの古賀駅まで歩く。
住宅やマンションが立ち並んでいる。
10分足らずで着くほど近い距離であった。
確かにJRの方が利便性が高いのかもしれないが、
最初から競争をあきらめているかのような西鉄はいかがなものか。
博多経由で天神に戻ると既に夕刻になっていたので、ひとまず天神のホテルにチェックインする。
改めて天神南まで歩き、地下鉄七隈線に乗車する。
将来の延伸計画の関係かもしれないが、天神からは数百メートル離れていて不便である。
4両編成のやや小ぶりな電車はほとんどの席が埋まるが、
乗客はどんどん減っていき、終点の橋本に着く頃には10人も乗っていなかった。
まるでさきほどの宮地岳線のようであった。
地上に上がったが、周囲は発展途上という雰囲気だった。
橋本は車両基地のための駅なのだろうか。
どうにも中途半端な終点という感じは否めない。
帰りの電車も橋本から乗ったのは僕も含めて3人ほど。
途中でいくらか乗ってきたが、苦戦が伝えられる七隈線の現状を垣間見た思いだった。
天神南からキャナルシティまで歩き、ラーメンの夕食後、
雰囲気のある上川端商店街をのんびり歩いてホテルまで戻った。
明日から3泊4日の日程で九州へと出かける。
タイトルのとおり、JR九州の一部未乗線である久大、日豊、日南、
全線が未乗の九州新幹線に乗り、JR九州を全線完乗するものである。
このほか、福岡市交通局、西日本鉄道、甘木鉄道、
熊本市交通局、熊本電鉄を完乗する予定だ。
天気はずっと良いようでなにより。
朝から良い天気だ。
特急ライラックで砂川に向かう。
ここから上砂川支線の転換バスに乗り換えるのだが、
どうしたものか駅前にはバス停が見当たらず、駅前通りに出てもそれらしきものはない。
しばらく駅前をうろうろとするうち、
ようやく駅前通りから少し入った場所にバスターミナルを見つけた。
勝手を知った地元の人が利用者の大部分なのだろうが、
駅前にターミナルの案内図なり矢印なりを出しておいてもらえないと困る。
中央バスには苦言を呈しておく。
これで時間を取ったため、予定していた赤平昭和行きのバスには乗れなくなったのだが、
上砂川東町行きのバスがまもなく発車する由のアナウンスがあった。
ターミナルの運賃表を見てみると、
あれうれしや、このバスは上砂川の中央一丁目を経由するではないか。
頃やよしとばかりに上砂川東町行きのバスに乗り込んだ。
車内は病院または買い物帰りの老人ばかりである。
しばらく走ると丘陵地帯にさしかかる。
上砂川支線の跡らしい細長い空き地が見られるようになる。
その廃線跡が新しい道路にかわってほどなく、中央一丁目のバス停となったので下車。
ここがかつての上砂川駅であった。
やや場所が移動させられた駅舎とスユニ60、ヨ8000が保存されていた。
駅舎には「上砂川駅」よりも大きく「悲別駅」の文字が掲げられている。
21年前放送のドラマ「昨日、悲別で」の舞台となったのがここであった。
また、映画「駅」でもこの駅舎は登場したとのことだ。
自由に見学できる駅舎内にはドラマや映画の資料などが飾られている。
廃止当時の新聞記事などもあるが、1994年5月といえばつい最近のような気がするのに、
もう11年も経ってしまったのかと思う。
次は歌志内線跡を訪れる。
上砂川支線と歌志内線は山を挟んで数キロ離れているだけなので、
赤平昭和行きのバスで両者をショートカットする。
上砂川支線は比較的平坦なところを走っていたのに対し、
こちらは両側を山に囲まれた谷あいを上っていく感じである。
バスから確認できる廃線跡はほとんどサイクリングロードとして整備されている。
数年前まで残っていた途中駅のホームや駅舎跡はきれいさっぱり姿を消しており、
あまり面白みはないのであるが、廃止から17年が経過していることを考えると
やむを得ないというところだろうか。
谷がどんどん狭まっていくが、人家は途切れることなく続く。
日本一人口の少ない市として知られる歌志内市だけれど、
それでもこのような山の中にまとまった集落が連なっている。
なかなか不思議な光景である。
そういえば夕張も似た感じだった。
石炭がなければ山深いこの地に街並みが形成されることはなかっただろう。
歌志内市街でバスを降りる。
市街といってもちょっとした商店街があるだけである。
駅の跡は郵便局やスーパーになっている。
緑がまぶしい山々に囲まれ、のびやかな風景が広がっている。
周囲を一回りしてみるが、食事したくなる店もなかったので、
スーパーで納豆巻きを買い、バスの待合室でもそもそとかじった。
砂川に戻るバスまで時間があるため、スーパーの隣の歌志内郷土館を見学する。
展示物としてはやはり炭鉱関係のものが多い。
空知炭鉱は歌志内線廃止前後に閉山になったのかと思っていたが、
10年前まで採掘が続けられていたことが意外だった。
このほか鉄道関連や暮らしにまつわる電化製品や家具の展示もある。
最盛期には歌志内の人口は4万6000人を数えたという。
町が賑わっていた頃の写真を眺めていくと、切ない気分になる。
時の流れ、栄枯盛衰、色々と感じさせられる見学であった。
砂川までバスで戻り、特急スーパーホワイトアローに乗る。
札幌ではジェットの時間までかなり余裕がある。
昼食が軽かったのでラーメンでも食べようと思い、
地下鉄とバスを乗り継いで、6年前に一度訪れたきりのラーメン道に行った。
特製味噌ラーメンはマイルドなスープがおいしい。
札幌の中心部にあれば、てつやの代わりに毎回通ってもよいのだが、
東区伏古はちょっと遠い感がある。
その後はこれまで一度も歩いたことのなかった狸小路や、
まともに歩くのは5年ぶりの大通り公園などでぶらぶらと時間をつぶした。
セントラルホビーという模型店までのぞいたのはご愛嬌である。
日が暮れる頃、快速エアポートで新千歳空港へと運ばれ、
夕食は空港内の朝市食堂という店でいか刺し定食を食べたことだった。
帯広の朝はどんより曇っていた。
特急スーパーおおぞらで池田に移動し、
北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線のディーゼルカーに乗る。
この線は3年前に一度乗車しているが、
天気と席が悪く十分に車窓を楽しめなかった苦い思い出がある。
一昨年に再訪しようとしたが、台風の後遺症で不通になっていた。
来年4月に廃止になってしまう前にもう一度乗っておきたかった。
池田を発車したが、今回も天気は曇ったままだ。
クロスシートは子供たちの集団に占拠されていたため、
ロングシートに腰掛けるが、彼らは本別で降りるとの由。
まわりは牧草や甜菜の畑が広がる。
本別からはクロス部に移動した。
足寄を過ぎたあたりから、あれうれしや青空が広がり始めた。
すっかり夏空となった下、山間部にさしかかっていく。
列車は利別川のきれいな流れを何度も渡る。
この美しい景色は来年以降も変わることがないかもしれないが、
列車の車窓からはもう見ることはできなくなるのだ。
それが何ともさびしく悲しい。
これが最後の短い夏の記憶となるのだ。
真冬の酷寒が信じられないほど、明るい緑に包まれた陸別を過ぎる。
線路は釧北峠越えとなり、両側から山が迫る。
秘境駅として知られる川上付近は確かに無人地帯という感じである。
小利別のまわりは廃屋だらけだ。
峠のピーク付近は廃止されてしまうとすっかり自然に帰り、
人間が立ち入ることすらできない場所になるのだろうか。
北海道の山間部は近年、まるで開拓以前に戻ってしまったかのごとき、
そんな無人地帯が増えてきているような気がした。
峠を越えて、あたりが開けてきて置戸に到着。
T村先生が著書で何度か紹介している駅前のいなだ屋という蕎麦屋に入る。
海老天ざるを注文したが、太目のそばはしっかりした味わいで量も多く、
大盛りを頼まずとも十分満足できた。
置戸始発の列車に乗り込み、終点の北見へ向かう。
車窓には麦や甜菜、とうもろこしなどの畑が広がり、のんびりした雰囲気。
そんな田園地帯の真ん中に、ぽつんとホームだけの仮乗降場あがりの駅がある。
こののびやかな風景からも、鉄道の姿が消えてしまうのだ。
何とも残念でならない。
北見に着いたがすっきりしない気持ちで改札へと向かった。
僕は冬の北海道を体験したことがない。
できれば廃止前にもう一度、厳寒期に訪れてみたいと思ったことである。
特急オホーツクで旭川へと向かう。
下りは3回乗っているが、上りは初めてとなる区間だ。
石北峠の廃止された駅群がわびしい。
旭川で降りて、駅前のホテルに荷を解いた。
昨年夏にも訪れたイオン旭川西SCのらーめん糸末に食べに行く。
1年前には賑わっていた店内が、どうしたものか閑散としている。
メニューもすっかり変わっているようである。
ラーメンもスープがぬるく、薄味になってしまった気がする。
ネットで調べたところによると、昨秋くらいに店主が変わってしまったらしい。
店名は同じでも店は別物になってしまったようだ。
店のHPも閉鎖されていた。
これまた残念なことである。
札幌から特急スーパーおおぞらに乗り、新夕張で下車する。
ここからバスに乗り換えて登川支線跡を訪ねる予定だが、
なんとまあコインロッカーがないことである。
かなり歩くことが予想されたため、ここで荷物を軽くしておきたかったのだが、
これでは仕方がない。
重いバッグを手に提げたままで歩き回る羽目となった。
登川行きのバスは一日5.5往復しかなく、現地で2時間半ほども滞在することになる。
何とも非効率であるが、公共交通機関を最大限に利用する以上やむなしである。
買い物帰りの老人ばかりを乗せたバスは、人家のほとんどない川沿いを走る。
楓の集落で老人たちを降ろし、乗客は僕だけとなった。
国道からやや脇に入った、何もない登川のバス停に到着。
待合室でもあればバッグを置いていこうと思ったが、
野ざらしのバス停なのでそのまま持って歩く。
すぐそばには石勝線のシェルターが連なっていた。
ちょうど舗装工事中で工事用車両が行き来して何とも落ち着かない。
道路の左側をかつての登川支線が通っていたのだけれど、
廃止から24年も経過し、すっかり自然に帰ってしまっている。
ようやく登川駅跡と思しき場所に来た。
奥の方では北海道横断自動車道の橋梁工事との由。
ここでも工事用車両が出入りしたり、道路が付け替えられたりしていて
まったく駅の痕跡はわからなくなってしまっていた。
殺風景な場所に変えられてしまいぞっとしない。
陽射しが強くなり汗まみれになって歩く。
このために2時間あまりを消費するのかと思うと実に感心しない。
昨年春に廃止された楓駅跡まで戻ったが、既に駅舎は撤去されていた。
北海道物産センターなる施設があったので、ここで時間をつぶすことにする。
正午になったので、中の食堂でもそもそとざるそばをすすったことである。
そばにある芝生広場のベンチに腰掛けてバスの時間をぼんやり待つ。
ちょうど木陰のため、なかなか涼しい。
真夏の晴れた日だけれど、さわやかな風が吹き抜けていくのはさすがに北海道だ。
心地よくくつろいでいるうちに、ぞっとしない気分は消えていった。
ようやく帰りのバスがやってきて乗り込む。
冷房はないが窓から吹き込む風が気持ちいい。
新夕張で荷物を預けられなかったため、途中で下車する必要がなくなり、
そのまま夕張の市街地までバスに乗ることにした。
うとうととしながらレースイリゾート前で降りる。
JR夕張駅が目の前にあり、ここで荷物を預けようと思ったが、
ここにもコインロッカーの類はない。
6年前に一度訪れているのだが、当時の記憶が定かでなかった。
そのままバスに乗っていればよかったのだが、またもや失敗である。
旧夕張線も本数が少ないため、
夕張市街地でも2時間あまりを過ごさなければならない。
石炭の歴史村は6年前に見学済みであるし、
レンタサイクルで走る気力もなく、中心部まで徒歩で往復するにとどまる。
ホテルシューパロ付近は区画整理工事の真っ最中で、こちらも落ち着かない。
今日はつくづく工事現場に縁がある日だと思う。
6年前とかなり雰囲気が変わっている。
クエンティン・タランティーノが気に入ったという夕張の街並みがどのように変貌するのか。
名物の映画看板は数が減ったものの健在で、殺伐としがちな心を慰めてくれた。
夕張駅前のコンビニで時間をつぶしたりしながら待つうち、
折り返し千歳行きの列車が到着してようやく乗り込む。
新夕張で特急スーパーとかちに乗り換える。
通路側の席を何とか確保する。
狩勝峠の雄大な車窓を十分に楽しめなかったのが残念だが、
すでに2回通っている区間なのでまあよしとする。
1時間半ほどで夕暮れの帯広に到着した。
日が暮れた帯広の街は、風がかなり涼しくなり、
半袖Tシャツだけでは肌寒いほどだ。
2年前に訪れた店で豚丼の特盛りを味わい、
ホテルに戻ってブログ更新に励んだことである。
北海道を訪れるのはちょうど10回目となる。
日曜日の昼前に新千歳空港に着き、快速エアポートで札幌に向かった。
駅のコインロッカーに荷を預けて身軽になり、地下鉄を大通で乗り換える。
札幌市営地下鉄では東西線の東札幌-新札幌、東豊線の豊平公園-豊住が未乗だ。
まずは東西線を新さっぽろまで乗る。
駅前のサンピアザというビルに入る。
最近ここに支店が開店したばかりの一灯庵という店で、スープカレーの昼食とした。
近年の札幌の名物というスープカレーは初めて食べるが、
すごく大きいチキンほか、野菜などの具沢山でなかなかおいしかった。
東西線を東札幌まで戻る。
ここからほど近い旧定山渓鉄道豊平駅舎が老朽化により、来月で取り壊される由。
旧国鉄東札幌駅跡のサイクリングロードを歩いたりしながら、駅舎の前に出た。
現在ではじょうてつ本社として使用されているが、築50年以上となっている。
ホームの屋根や土台もしっかりと残って
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