中国地方JR未乗路線乗りつぶし(その2)

1日はよく晴れ渡った朝となった。
宇部新川の駅近くには朝から営業している店がないので、
駅から住宅街の中を十数分ほど歩く。
遠くに宇部興産の工場を臨む。
旅先で朝を迎えると、日常から1000Km彼方にいることを実感する。
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所謂ロードサイドにある松屋でソーセージエッグ定食の朝食とした。
ここ数年旅先での定番である。

まずは昨日中途半端に乗り残している小野田線を完乗する。
単行のクモハ123で昨日から3度目となる雀田まで運ばれる。
緑地帯の向こうに工場群を望みつつ、住宅と田園が混在する中を走って小野田に到着。
本日最初の完乗線区となった。

小野田からはいつ見ても似合わない末期色の117系で厚狭に移動。
少し時間があるので駅前を一回り。
古びた駅前旅館などを眺めながら駅に戻った。

次の美祢線は派手に秋芳洞ラッピングされたキハ120である。
オールロングシートがぞっとしないが、西日本の非電化路線では避けて通れない。
厚狭川に沿って曲がりくねりながら走る。
やがて山が両側に迫り渓谷の様相を呈してくる。
なかなかの眺めなのだが、ロングシートでは景色が眺めにくい。
沿線に赤茶色の所謂石州瓦の民家が目立ち始める。
名前の通り、島根名産の瓦なのだがこのあたりにもかなり進出しているようだ。
線名にもなっている沿線の中心都市美祢で乗客がかなり入れ替わった。

昨日から中国地方の各線を回っているが、
各駅でピンクや白のツツジの花が目立つ。
無人駅でもきれいに手入れされた植込みがあり、
地元の人たちがボランティアに精を出しているのだろう。

いつの間にか分水嶺を超え、今度は音信川沿いとなる。
対岸に湯本温泉の旅館が立ち並び始めると長門湯本。
ここから急に下りはじめ、あたりが開けるともう海に面した長門市である。
陰陽連絡線の中でも美祢線はなかなかの短さで、
あっという間に太平洋側から日本海側に出てしまった。
これで美祢線も完乗。
時刻もまだ11時台で、午前中に2路線を片付けてしまった。

仙崎支線の列車まで1時間弱時間があり、ちょうど昼時なので昼食とする。
事前にネットで調べたところ、
夜は焼き鳥屋になる店がランチタイムにラーメンを提供しており、
駅から5分ほどと近いうえラーメンの評判もいいらしい。
そのながと本陣までぶらぶらと歩く。
ドラマ「あまちゃん」ではないが、車は通るのに歩行者はまったくおらず、
まさしくモータリゼーションを感じさせる長門市だった。

店に入り本陣特製ラーメンをいただく。
鶏にこだわりのある店らしく、地鶏長州黒かしわの鶏ガラスープが上品な味わい。
淡麗あっさりラーメンでなかなかの味だった。
前夜がこってり系の宇部ラーメンだっただけに、
好対照のラーメンを2日連続で食べられて満足した。

駅に戻り仙崎支線のキハ40に乗り込む。
下関からやってきた列車はほとんどの乗客が降り、
同業者と思しき男性と僕の2人だけとなる。
ごちゃごちゃした住宅街を4分ほど走るとあっけなく仙崎に到着した。
駅ではやはり同業者らしい数人が写真を撮っていた。

折り返しまで12分ほどの間に海のそばまで行きすぐ引き返す。
先ほどの同業者たちは見当たらず、長門市までは貸切状態となった。
長門市からの山陰本線はエメラルドグリーンのきれいな海が広がる。
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これほど美しい日本海を車窓から眺めるのは、
14年前の五能線乗車時以来だったことである。


内陸部の田園地帯と海岸線を交互に繰り返しながら下関まで。
2時間半の道のりは全く退屈しなかった。
山陰本線では江津-長門市の一番本数が少なくて乗りにくい区間が残ってしまった。
かつては特急も走っていたのに隔世の感がある。

下関では時間があるので高架下の店でふく天うどんを味わう。
ふく(下関でいうところのフグ)の天ぷら入りの珍しいうどんである。
昼食のラーメンから3時間ほどで空腹ではないのだが以前から食べたかったのだ。
九州ブルトレ全盛期にはホーム上の店舗もあり賑わっていたと聞く。
今では一店舗のみの営業のようだ。
昨日4月30日で駅弁の販売が終了し、その旨の貼り紙があった。
ふくすしを食べてみたかった。

本州最西端の下関まで来て、まだ15時台とあれば九州に足跡をしるさないわけにはいかまい。
415系で門司に出て乗り換え、門司港駅に行く。

13年前に訪れた時は時間がなく、門司港レトロ地区を見物する暇もなかったが、
今回はゆっくり見物できる。
歴史ある門司港駅が保全工事中なのが残念だった。
工事終了は3年後のようだ。
それでも界隈の歴史ある建造物群をいろいろと鑑賞できた。

今回の旅のラストは平成筑豊鉄道門司港観光レトロ線で締める。
かつての貨物線を観光用の鉄道に転用したものだ。
南阿蘇鉄道で使用されていた小型のDLと島原鉄道で使用されていた無蓋貨車の編成である。
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実はちょうど10年前のGWに島原鉄道でトロッコ列車に乗っていた。
http://hirot.air-nifty.com/railwaychildren/2005/05/2_4fe8.html
この車両とは実に10年ぶりの再会となる。

関門海峡めかり駅までの往復料金と同じ料金の一日乗車券を購入する。
記念に手元に残しておきたいからだ。
カップルや家族連れ中心の列車は九州鉄道記念館を発車する。
ゆっくりしたスピードで門司港の街並みを通り過ぎる。
ノーフォーク広場駅では関門橋が間近に迫り良い眺めである。
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トンネル内では天井に海中の魚貝をイメージした映像が浮かび上がり幻想的だった。
EF30とオハフ33が展示されている関門海峡めかりで10分の滞在後に折り返す。
帰りは出光美術館で下車し、レンガ造りの旧門司税関などを眺めながら門司港駅に戻った。
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小倉に出て名物駅弁の特製かしわめしを購入してから帰路についたことだった。
宇部新川を出てから帰宅するまで14時間ほどの道のりでさすがに疲労を覚えた。

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中国地方JR未乗路線乗りつぶし(その1)

2011年からこの時期5年連続でサンライズ瀬戸に乗車となる。
2年ぶりのシングル、3年ぶりの岡山までの道のりだ。
今回は3~4時間ほどと寝台列車にしては割と眠れた。
岡山で食事をする暇がなさそうなので、前夜買ったパンで朝食とした。

岡山からは早速未乗路線の一つ、吉備線である。
実は3年前に乗車予定だったのだが、
サンライズが米原付近で鹿と接触して30分遅れとなったため、
やむなく乗車を断念した経緯がある。

岡山出発時はがらんとしていたキハ47の2両編成の車内も、
駅ごとに高校生が次々乗り込み立客も出た。
沿線風景は平凡で特筆すべきこともなく、
水攻めで有名な備中高松城跡も、車窓からは定かでなかった。

総社で伯備線に乗り換え、通勤通学客にもまれながら倉敷でさらに山陽本線へ。
思えばこのあたりの区間に乗車するのも33年ぶりである。
しみじみとしながら福山でさらに三原行きに乗り換える。

三原からは未乗の呉線である。
車両もロングシートの105系ではなく、あれうれしや転換クロス仕様の115系である。
瀬戸内海沿いを走る風光明媚な路線にはもってこいなのだが、
残念なことに朝は晴れていた空が曇ってきて、雨まで降りだしてしまった。
どんよりけぶった瀬戸内海が侘しい。

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青い海と青い空の穏やかな瀬戸内海を眺めてみたかったと思う。
気勢の上がらぬまま、広で引き続き115系に乗り換えて広島に運ばれる。

ちょうど昼時になったので駅構内で立ち食いうどんの昼食とする。
構内は大改装工事中で、かつて1番線ホームにあった店も橋上通路に移転していた。

広島からは岩国行きに乗るが、今春デビューしたばかりの227系である。
しかし3両と短い編成のため、宮島に向かうと思しき観光客で混雑している。
これまでは最短の編成でも4両だったはずで、
ようやく新車が投入されたとはいえ、短縮化はいかがなものか。
外国人の目立つ観光客が宮島口で大量に降車してやっと着席する。

岩国からはきょう3本目の未乗路線岩徳線である。
キハ40の単行でボックスが埋まっていたため、
最初はロング部に腰掛けるが、ほどなくクロスに移動する。
薄日が射したかと思うと、一度やんだ雨がまた降りだす。
今日は不安定な天候だ。
車窓は徐々に山深くなっていくが、中国山地らしくそれほど険しさはない。
これまで乗車した中国山地の路線の記憶と入り混ざり、少々頭が混乱する。
左手にコンビナート群が現れ、山陽本線と合流して徳山に到着。
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少々時間があったので駅前を一回りしてみるが、
駅ビルの改装工事が始まりあちこち閉鎖された箇所が目立つのも相まって、
近年の地方都市にありがちなくすんだ印象であった。

徳山からは山陽本線で新山口まで運ばれる。
未だに小郡の駅名がしっくりくるこのあたりを訪れるのは31年ぶりである。
当時は駅の南側は田んぼが延々と広がっていた記憶があるのだが、
今ではビルが立ち並んでおり、歳月を感じさせる。

ここからはやはり未乗の宇部線だ。
これまでロングシートが回避できてきたのだが、
この線ばかりはオール105系なので、ロングシート致し方なし。
時間帯的に帰宅の高校生が目立つ中を運ばれる。
あまり車窓も眺められないが、田園風景から海沿いを走る区間もあり、
いろいろと変化のある車窓だった。
宇部新川で乗客が完全に入れ替わり、降車と同じくらい高校生の乗車があった。

宇部線の終点宇部駅は町はずれにあるため、
駅前はあっけないほど何もない。
かつての特急停車駅とは思えないほどだった。

居能まで引き返してから小野田線に乗り換えて雀田へ。
これからが今回の旅の一番のキー路線だった小野田線本山支線である。
年々本数が減っていき、現在では朝2往復、夕1往復という状況。
当然のことながらこの線のダイヤを軸にプランを立てたわけ。

雀田でクモハ123に乗り込むと乗客のほとんどが高校生。
学校が早く終わった日も18時過ぎまで帰宅を待たされるのだろうか。
通学が大変そうである。
途中一駅をはさんでわずか5分であっけなく長門本山に到着。
高校生たちは家路に散っていき、同業者と思しき1名と写真を撮ったり周辺をぶらぶらしたり。
駅からしばらく歩くと周防灘が広がっていた。

いつ存続の危機が訪れてもおかしくないこの線。
クモハ42が現役だったころに訪れてみたかった。

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もう2度と訪れることのない地かもしれないとの思いで同業者と後にした。
雀田から宇部線直通列車で宇部新川に着く。
駅からほど近いビジネスホテルに荷を解く。
昨晩から21時間ほぼ乗り詰めでさすがに疲労を覚える。

夕食は一部で話題の宇部ラーメンとしゃれこみ、
近くの一久という店で大盛りを平らげる。
かなり獣臭い濃厚スープという噂だったが、
久留米ラーメンも食べたことのある僕は特に抵抗もなかったことである。

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12年ぶりの道南紀行3

この日の朝も曇った空ながらときおり薄日が射した。
昨日に引き続きホテルの朝食券を使用し、朝市内のきくよ食堂へ行く。
今日は本店ではなく支店の方に入ってみた。
人気のある巴丼を注文。
朝食券+630円でウニ、イクラ、ホタテののった丼が食べられた。

函館を発つ前に一度見ておきたかった青函連絡船記念館摩周丸を見学する。
かつては函館駅から桟橋まで線路と通路が続いていたが、
今では分断されて駐車場や小公園になっているのが侘しい。

入管料500円を払って中に入る。
91年の公開当時はかなり賑わったようだが、現在は閑散としている。
駐車場に何台も止まっていた観光バスも、すぐそばの朝市見物の団体用らしい。
それでも船内は貴重な資料が多く展示されている。
操舵室や無線室の中にも入ることができる。

宇高連絡船は何度も利用したことがあるのだが、
青函連絡船は結局一度も乗らないままだった。
船内を見学して回るうち、このことが非常に悔やまれたことである。

函館から札幌まで特急スーパー北斗で向かう予定だが、
指定席は満席で自由席も混雑が必至だ。
発車30分ほど前にホームに行ったが、既に長蛇の列。
大きいスーツケースを従えた中国語の団体に占拠されている。
結局客室内にすら入れずデッキにしばし立ちんぼの無聊となる。
しかしながら大沼公園で件の団体が大量下車。
やっと座ることができた。

海側窓際の席を確保するが雲が低く垂れこめ、
霧も出ているようで水平線すらはっきりしない。
3日目ともなると疲れも出てきてウトウトしながらの移動となった。

団体が降りた後も車内の各所で中国語が聞こえる。
一体ここはどこの国だろうとも感じる。
近年の北海道ではよく見られる光景で、
国内の観光客が頭打ちの中、
海外からの観光客に活路を見出さざるを得ないのが現実だろう。
治安悪化などにつながらぬよう願うや切。

秘境駅として知られる小幌を一瞬にして通過。
ホーム上でカメラを構えた人を確認できた。
一昨年訪れた伊達紋別で古びた陸橋などが目に入る。
つい昨日のことのような気がするのにもう2年前なのだ。
思い出に浸りながら3時間20分が経過して14時過ぎに札幌着。
混雑や対向列車の遅れもあり5分ほど延着であった。

夜には新千歳からジェットで羽田に飛び立つため、
札幌には約3時間ほどの滞在となる。
昼食がまだなので14年前から札幌で必ず訪れるらーめんてつやに向かう。
コインロッカーに荷を預け、地下鉄と市電を乗り継いで西線6条で下車。
歩いて数分で店に着いた。
味噌を試してみたいと思いながら、いつも醤油を注文してしまう。
初期の頃のようなスープのコクが感じられないのだが、今回も完食。

このあたりを明るい時間に訪れるのは7年ぶりで、
その7年前に立ち寄ったスープカレーの一灯庵本店跡地を確認しに行く。
数年前に火事で焼けてしまい、店は移転してしまったのだ。
古い民家を改装したよい雰囲気の店だったのだが、
跡地は再び一般の民家に戻っていた。

市電で西4丁目に戻り、大通公園の噴水そばでしばし寛ぐ。
2年前存続の危機に陥ったものの、何とか乗り切ったとうきびワゴンがあるが、
ラーメンを食べたばかりでは手が伸びず、ソフトクリームをなめるにとどまった。

札幌駅までぶらぶら歩いて構内のドトールで時間をつぶす。
程よい時間になったので快速エアポートで新千歳空港まで。
空港内に最近開店したLabiというスープカレーの店でチキンto野菜の夕食とする。
スパイシーでよかったが値段はやや高め。
空港内の店なのでいたしかたないところか。

帰路は初めて乗るAIR DOである。
無事羽田に着き、羽田空港第2ビルからモノレールに乗車。
羽田空港第2ビル~羽田空港第1ビル間が未乗だったので、
東京モノレール羽田空港線の完乗タイトルを9年ぶりに奪還したことである。

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12年ぶりの道南紀行2

函館らしいどんより曇った朝だ。
ホテルでもらった朝食券を手に朝市内のきくよ食堂へ。
本店と支店があり、12年前は支店の方でイカソーメン定食を食べた記憶がある。
今回は本店の方でイカソーメン定食を注文。
普通のイカ刺しとは全く違うつるんとした食感を味わったことだった。

函館駅前から電車に乗り函館どっく前へ。
12年前同様に函館山麓の風致地区をめぐる。
まずは外国人墓地へと向かう。
当時の記憶がうっすらと蘇る。
その時は晴れていたと思うのだが今日は曇って灰色の海だ。
青い海を見おろしてみたかったと思う。

かなり急勾配の坂をのぼって旧ロシア領事館前に着く。
確かに急坂だった記憶がある。
気温は低めなのだけれど湿度が高く汗だくになる。
高齢者の住民など坂の上り下りが大変だろう。
そのせいなのかどうなのか、このあたり「売地」と書かれた空き地が目立つ。
8月だのにあちらこちらでアジサイが色鮮やか。
やはり北海道は涼しいのだろう。

艶やかな旧函館区公会堂を眺めてからいったん基坂をくだって電車通りに。
有名な八幡坂を下から上までのぼってみる。
こちらもなかなか急な坂で、舗道がスロープと階段の2種類で構成されている。
敢て下を振り返らないようにしながら一番上に到着。
ここではじめて振り返る。
プラタナス並木の坂の下に函館港が広がる美しい眺めだ。
これで天気がよかったら最高だったのだが。
おりしもガイド嬢に率いられた団体客が到着し賑やかになる。
函館を代表する風景に変わりはないようだ。

そこからほど近く3つの教会が少し接近して建っている。
プロテスタント、カトリック、ロシア正教の3宗派が揃っているのが珍しい。
昨日も訪れたレイモンハウス元町店へ。
今日も夜のつまみ用にミニサラミを購入。
さらに12年前の函館旧駅舎内の牛乳スタンドで飲み、
なかなか美味しかった記憶のある山川牧場牛乳を見つける。
少々歩き疲れたこともあり店内で飲んで一休みした。

十字街から電車で函館駅前に戻る。
いよいよ本日のメインイベントたる江差線往復である。
来年5月12日で木古内~江差が廃止になるため、
さよなら乗車をしておこうというわけ。
なお同線自体は12年前にすでに完乗している。
当時はデジカメを持っておらず写真を残していないため、
今回はいろいろ撮影しようと思う。

江差行きの11時29分発の臨時列車は、
当初キハ183系6000番台のお座敷車両で運転される予定のところ、
先月の特急北斗エンジン火災による車両点検のため、
キハ40単行に変更されてしまった。
少し早めにホームに入り入線を待つが、
小中学生のヤングファンの姿が目立つ。
みな首からデジタル一眼を下げている。
時代は変わったものだ。

「えさし」と文字入りのヘッドマークを掲げたキハ40が入線。
写真撮影で少々乗り込むのが遅れて、海側のボックスは確保できなかったが、
山側に何とか座る。
五稜郭を出ると木古内まではノンストップ。
キハ183系で設定したダイヤそのままなので、
キハ40は必死にエンジンを吹かし、かなり無理して飛ばしているようだ。
廃止予定区間に入る前に昼食を済ませておく。
函館で購入しておいた鰊みがき弁当をほおばる。
12年前に売り切れで入手できなかった駅弁で、今回やっと食べることができた。
ニシンの甘露煮と大振りなカズノコが載った、いわばカズノコの親子弁当だ。
真夏にカズノコというのも乙だった。

木古内からも若干の乗車があり、車内は同業者でほぼ満席。
いよいよ廃止予定の区間に入る。
頃やよしとばかりに明るい日差しも射しはじめる。
このあたりは水田も多くあまり北海道らしくない風景なのだけれど、
徐々に山間部にさしかかっていく。
吉堀~神明間は駅間距離が10キロほどもあり、ここで峠を越える。
人跡稀な原生林の中に線路が伸びて列車がゆく。
廃止されてしまえばすぐに自然に帰ってしまい、
人が立ち入ることのできない場所になってしまうのだろう。
何ともさみしい気分である。

やがて平行する道路がちらほらと見え隠れする。
所々で車を停めてカメラをかまえる撮り鉄氏の姿があった。
湯ノ岱駅で列車交換のためしばらく停車。
同業者は駅スタンプを押しに行ったり、写真撮影でホームをうろうろ。
かつて鈍行列車の長時間停車が多かった時代にはよく見かけられた光景である。
9ヶ月後に廃止になる鉄路だけに、みな思いもひとしおであろう。

空はまた曇りがちになる。
車窓左側に日本海が現れ、海沿いをしばらく走ってからやや内陸に入って江差着。
函館から2時間42分、木古内から1時間15分ほどの旅だった。

折り返しまで30分ほどの時間があり、人々は思い思いに過ごす。
構内で写真を撮ってから駅前に出ると、
12年前に昼食のカップラーメンを買った思い出のある何でも屋さんの看板が消え、
シャッターを降ろし閉店しているのを見つけた。
月日の流れを感じて切なくなったことである。

帰りも車内が同業者で埋まり、ロングシート部に腰掛けることになったがやむなし。
幻の天ノ川駅の駅名標(もどき)を撮影したかったのだが、
一瞬で車窓を過ぎ去り、かなわなかったのが悔やまれる。
前述の峠越え区間あたりで疲れが出てややウトウトとしてしまったものの、
江差線木古内~江差間最後の夏をしっかり目に焼き付けた。

この列車は木古内どまりなので、木古内からは特急白鳥で函館に運ばれる。
北海道新幹線の工事が急ピッチで進められているようだ。
木古内の駅前後の高架橋はかなり建ちあがっていた。
自由席特急券を買いそびれてしまったので、函館の改札氏に料金500円を支払った。

17時と夕食にはまだ早く、
かといってあまり散策することもできない中途半端な時間なのだけれど、
駅から南に向かって歩いてみる。
これまで市街北側の函館湾方面を歩くことが多く、
南側の津軽海峡方面はあまり行ったことがなかった。
そちらも少し見てみたかったのだ。

駅から20分ほど歩いて海岸に出た。
静かな函館湾とは違い外海なので荒い波が打ち寄せている。
近くに二人の世界に入り込んでいるカップルがおり、
あまり長居をしたくない気分だったのですぐに回れ右する。

まだ西日が眩しく夕食には早いのだが、
ホテルに戻って出直すのも面倒なので松風町方面に向かう。
12年前にラーメンを食べたエビス軒を目指した。
函館に来たからには塩ラーメンを食べておきたい。
店の前に来たところ、こはいかに「臨時休業」とある。
仕方ないので駅前を歩いているとしなのという店を見つけた。
「はこだて塩らーめん」という看板も目立ち、こちらに入ることにした。
立地がいいためかそこそこ客が入っており、味の方もまずまず。
例によって近くのコンビニでサッポロクラシックを買ってホテルに戻った。

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12年ぶりの道南紀行

2年ぶりとなる北海道、12年ぶりとなる函館への旅である。
12年前同様に鉄路で渡道となった。
この間に東北新幹線は盛岡から八戸を経て新青森まで全通し、
E5系はやぶさは世界最速タイの320Km運転という変化があり、
函館までの所要時間は1時間半ほど短縮された。

はじめてのE5系であっという間に新青森まで運ばれる。
八戸から先は未乗区間だったが、
通路側の座席だったため車窓があまり眺められなかった。
大部分がトンネルなのでまあよし。
3年前に返上した東北新幹線完乗のタイトルを奪還した。

新青森での乗り継ぎの合間に青森の老舗駅弁だった帆立釜めしを購入。
スーパー白鳥の自由席は満席でデッキに立ったが、
青森で大量の降車があり、海側窓側の座席を楽に確保することができた。
ちょうど正午近くとなったのでさっそく箸を使う。
たっぷり載せられた帆立に満足である。

青函トンネルを通るのも2度目となったが、
2年半後には北海道新幹線が新函館まで開通する見込みで、
在来線で津軽海峡を横断するのもこれで最後かもしれないと思われた。
休止中の吉岡海底駅とともに来春廃止が予定されている竜飛海底駅を通過。
流れ去る灯りを目に焼き付けた。

20数分ほどでトンネルを通過し、いよいよ北海道上陸である。
天気予報は芳からざる結果だったのだが、
幸い雨は降っておらず、一面グレイの雲に覆われていた空も、
函館に近づくにつれて晴れ間ものぞくようになった。
しかしながら函館山は低い雲がかかって全容が拝めず残念なことしきり。

戦前に建てられた三角屋根の駅舎が特徴だった函館も、
数年前に建て替えられてすっかり様変わりしていた。
あらためて12年の歳月を感じてしまう。

ロッカーに荷物を放り込んで身軽になり、
道内時刻表と市電一日乗車券を購入。
市電で湯の川を目指す。
五稜郭公園前~湯の川が未乗区間で、
北海道の旅客鉄道路線でゆいつ乗り残していたのだ。
満席なので電停とは反対側のドア部分に立つ。

五稜郭公園前で席が空いたので頃やよしとばかりに座る。
古びた住宅や商店が立ち並ぶ通りを15分ほど走って湯の川に到着。
函館市電および北海道の旅客鉄道路線完乗を達成した。
11年前のJR北海道完乗のときもそうだったのだが、
あまりにも多くの路線が廃止されてしまい、
残された路線が少なくなったこともあり、特別な感情は起こらなかった。

ひとつ前の湯の川温泉までぶらぶら歩き、
乗ったで降りたで駅増殖としゃれこむ。
8月なのでさすがに日差しは強いものの風は涼しく、
北海道に来たことを実感する。

小腹がすいてきたし冷たいものも飲みたいので、
宝来町のカフェ、ひし伊に向かう。
ちょうどやってきた電車が谷地頭行きだったため、
十字街で乗り換えることもなくそのまま直通した。

ひし伊は辻仁成氏の函館物語という作品で知った店で、
古い蔵を改装した趣のある店内である。
文中にも出てくるワッフルセットを注文した。
とくに甘党というわけではないのだが、
たまにこういったものが食べたくなる。
アイスコーヒーを飲みながらゆっくりくつろいだことだった。

住宅街を数分歩いてレイモンハウス元町店へ。
ここのソーセージは評判がよく、
ホテルで飲むビールのつまみにと考えたのである。
ミュンヒナータイプを買い、十字街へ向かった。

ほどよく混んだ電車で函館駅前へ。
朝市そばのホテルにチェックインする。
外観は古めだが室内はまずまず。
朝市内の食堂の朝食券つきプランというのが決め手だった。

部屋で一休みしてから夕食のため外に出る。
陽が落ちるとさすがに半袖では少々肌寒いくらいだ。
ライトアップされたレンガ倉庫街をのんびり歩いてふたたび十字街付近まで来た。

函館に多くの支店を持つラッキーピエロのベイエリア本店である。
12年前に入店したのはここだったのか、
近くにある支店だったのか記憶が定かではない。
その時はチャイニーズチキンカレーを食べた。

今回はメイン商品というべきチャイニーズチキンバーガーのセットを注文。
ほどなく運ばれたセットは、甘辛い味付けのチキンを挟んだバーガーと、
チーズがたっぷりかかったフライドポテト、ドリンクはウーロン茶。
ドリンク以外は高カロリーなまさしくジャンクフードである。
ふだん夕食にはあまりバーガー類は食べないのだが、
この店はボリュームがありすっかり満腹になった。
店内には中国語をしゃべる客が目立った。

末広町で少し電車を待たされたが、函館駅前に戻る。
北海道では毎回恒例のサッポロクラシックを買い込んでホテルに戻る。
ソーセージミュンヒナータイプをつまみに、
サッポロクラシックを飲みながらブログ更新に励んだことだった。

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5年ぶりの北海道(3日目)

早朝に目が覚めてしまった前日とは一転、8時近くまでゆっくり眠ることができた。
小樽市総合博物館見学のため、札幌駅へ向かう。
駅に到着するとどうしたものか、小樽行きの電車は30分以上待たなくてはならない。
頃やよしとばかりに構内のロッテリアで朝食を取る。
小樽までは前日もたどった道だ。
同じ区間を行ったり来たりするのは感心しないのだけれど、
スケジュールの都合で仕方がないことである。

前日同様に海側の席を確保し、美しい海岸線に見ほれる。
小樽に降り立ち、駅前通りの坂を下りてゆく。
ほどなく通りを横切る廃線跡が現れる。
北海道最初の鉄道路線、手宮線の跡である。
博物館は終点の手宮駅跡に建てられているため、
廃線跡を追っていけば博物館に着けるというわけ。
9年前は自由に歩けた記憶の廃線跡だが、
今は道路の交差部分に柵が設けられており、
立ち入ることが躊躇われたため、並行する道路を歩く。

駅から20分ほどで博物館に到着。
手宮口という裏口のような場所なので、入口はこじんまりとしていた。
中に入ると車両の展示場となっており、北海道で活躍した車両の数々が展示されている。
少しずつ修繕作業が進められているようだが、
海の近くで潮風に晒されるため、一部にはかなり状態が悪い車両もあった。
この中で何より貴重なのは、北海道限定というわけではないが、
幻の現金輸送車として全国を駆け巡ったマニ30である。
その役割上、現役時代は存在が伏せられていたため、
間近に見られることがうれしい。

ひととおり展示車両を見てから館内を見学する。
館内にも開拓時代の蒸機、しづか号と客車が展示されていた。
厳しい自然との闘いだった北海道の鉄道建設の歴史がうかがえた。
1890年代の手宮駅を再現したレイアウトがあった。
かなり広大な規模の駅だったことに驚かされる。

再び展示場に戻ると転車台でアイアンホース号が方向転換をしている最中だった。
1日3回場内を運転している。
運転時間が迫っていたのだが、写真を撮っているうちに客車が満員になってしまい、
乗車は諦めたことである。

1時間ちょっと館内を見学し、バスで小樽駅まで戻る。
2駅隣の小樽築港に向かい、駅前にそびえるSCウイングベイ小樽に入った。
かつての小樽築港機関区跡地に建てられているため、ホテルも内接した巨大なSCである。
ここに出店している魚一心という寿司屋が評判良いようなので、
昼食はここで取ろうと決めてあった。
しばらく待たされて店内に入る。
特握りのセットを注文。
うに、いくらに加えあわびもあって豪華なセットである。
北海道ならではの安くて旨い寿司を味わったことだった。

満腹になったところで札幌に戻る。
新千歳空港に向かう快速まで1時間以上時間があるので、
地下鉄に乗り込み大通公園に行く。
前日ホテルで見たローカル番組で、
公園名物のとうきびワゴンが存続の危機と伝えられていたのだった。
売り上げが全盛期の7分の1まで落ち込んでいる由。
焼きとうきびを味わうのもこれが最後になるかもしれないの思いだった。
買ってすぐは熱いので、公園をぶらぶらして少し冷ましてからかぶりついた。
香ばしく瑞々しくて美味しい。
名物がなくならないことを祈るや切。

まだ時間が余っているので帰りは歩いて札幌駅まで戻る。
それでもまだ時間があり、構内のドトールでアイスティーを飲んでから空港へ向かった。
快速に揺られながら、次に北海道を訪れることができるのはいつ頃のことだろうかと、
感慨にふけったことである。

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5年ぶりの北海道(2日目)

久々の北海道で気持ちが高ぶっているせいか、
よく眠れず4時に目が覚めてずっと起きていた。
7時前にホテルを出て札幌駅へ向かう。
昨日はかなり暑かったが、さすがにこの時間は涼しい。

札幌から小樽へ移動する。
張碓海岸を眺めたいため、右側の席を確保したかったが空いておらず、
左側の席でひとまず座る。
手稲で席が空いたので右側に移った。
9年前は駅舎やホームがあった秘境駅張碓も、取り壊されて痕跡がなかった。

小樽で朝食用に駅弁(特製かにめし)を買い、
やってきた長万部行の車内で箸を使う。
その長万部や遠軽のかにめしと比べると、
少しぼそぼそした感があるがおいしかった。

車内は冷房などないが、窓を開けていれば涼しい風が入ってくる。
余市付近のリンゴ畑、ブドウ畑、然別からの山中を行く車窓、
顔いっぱいに心地よい風を受けながら、ローカル線旅の醍醐味を味わった。
かつてはC62の重連が喘ぎながら上り勾配に挑んでいた区間である。

札幌から2時間余りで倶知安に到着。
羊蹄山やニセコアンヌプリは頂上が雲に覆われて全景を拝めないのが残念。
ここから伊達紋別まで25年前に廃止になった胆振線の転換バスに乗る。
バスの発車時刻まで1時間以上あるので胆振線の廃線跡を探してみた。
しばらく歩くと小学校の裏にゆるくカーブする細長い空き地を発見。
防雪林と柵がわずかに線路跡を感じさせた。

適当なところで駅に引き返し、ようやくやってきたバスに乗り込む。
市街地を抜けると羊蹄山が車窓右手に現れる。
相変わらず雲が邪魔をしているがダイナミックな風景だ。
列車の車窓から見てみたかったと思う。
しばらく見ているうちに寝不足のためか少しウトウトとする。
京極で乗客の大半が降りてしまった。

羊蹄山が後ろに遠ざかっていくと、尻別岳が姿を現す。
こちらは全景が拝められ、なかなかよい眺めだ。
このあたりまで胆振線の遺構は車内からは確認できなかった。
喜茂別を過ぎると車内は閑散とし、無人の山間部を行く。
峠を超えた大滝あたりからまた乗客がパラパラと乗り込み始める。
盤渓駅跡ではホームに上がる階段跡を見ることができた。
このあたりから並行する遊歩道や築堤がわずかに胆振線らしい跡だった。

バスは平野部を行くようになり、リンゴ畑やジャガイモ畑が広がる。
壮瞥駅跡は新しい町役場に変わっていた。
90年代後半あたりまではホームなども残っていたらしいが。
昭和新山や有珠山を見ることができるようになるのだけれど、
すぐ山蔭に入ってしまい、よい写真は写せなかったことである。

ようやく増えた乗客たちも伊達市街地の停留所で次々降りてしまい、
伊達紋別駅前で下車したのはわずかだった。
倶知安から乗り通したのは当然ながら自分だけである。
2時間24分の道のり、のぞみなら東京から新大阪の所要時間に相当する。
さすがに疲れと臀部の痛みを覚えた。

倶知安側は喜茂別あたり、伊達紋別側は大滝あたりまでが乗車の限界で、
喜茂別~大滝間はほとんど乗客の流動がないように思えた。
現在全区間を直通する便は1日わずか3本だけとなっているのも仕方ないであろう。
胆振線時代は急行列車が走っていたことを考えると隔世の感がある。

札幌行きのスーパー北斗まで1時間ほどあるので昼食とする。
懐かしい駅前食堂らしい佇まいの店があったので入る。
舌代にあった冷やしラーメンを注文。
山形の冷やしラーメンのようなものを想像していたが、普通の冷やし中華だった。
味のほうはまずまず。
それでも時間があるので陸橋を渡って駅の反対側を散策して時間をつぶす。

スーパー北斗の自由席は混雑しており、通路側にやっと席を見つける。
腰かけるとどっと疲労が出てウトウトとしてしまう。
気がつくと苫小牧だった。
振り子特急で快適に札幌まで運ばれた。

ホテルに16時頃到着し、寝不足なので2時間ほど眠ると頭がすっきりした。
数年前に移転したラーメン道で夕食を取るため、
地下鉄東豊線の人となった由。
環状通東で下車して少し歩いたところに新しい店があった。
石造りの倉庫を改装したようである。
みそを頼むことが多かったので、今回は趣向を変えて塩を注文した。
無化調なので少し淡泊過ぎたかなと感じた。
例により、サッポロクラシックを買い込んでホテルへ戻ったことである。

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5年ぶりの北海道(1日目)

5年ぶりに北海道を訪れた。
ジェットは定刻からやや遅れて昼過ぎに新千歳空港に着いた。
快速で札幌に運ばれ、荷物を預けてから新札幌へ引き返した。
6年前にスープカレーを初めて食べた一灯庵という店が目的だ。
駅前のサンピアザというビルに入っている。
ありがちチキンを注文。
久々のスープカレーを堪能した。

その後は地下鉄を乗り継いで南平岸に到着。
5年前に訪れた聖地・平岸高台公園に行く。
今回も写真を撮りに来たどうでしょうファンと思しき人々を見かけた。
すぐそばにそびえるHTB本社は1Fの一部に立ち入れるようになっている。
onちゃんグッズの販売や水曜どうでしょう関連の展示があった。

地下鉄に乗り、次はすすきので下車する。
狸小路をひやかして大通公園で水分補給。
こちらは12年ぶりになる北海道大学のキャンパスを目指した。
再訪する場所ばかりだが、10回以上北海道を来訪していれば仕方あるまい。
かつて都心の狭苦しいキャンパスに通っていた身とすれば、
緑が豊富で広大な敷地が羨ましい。
12年前は健在だったポプラ並木は7年前の台風で甚大な被害を受け、
歯抜けの状態になっており痛々しかった。

夕方ホテルにチェックインして一休み。
食事へ向かったらーめんてつやはどうしたものか、
以前の賑わいがなく閑散としておりぞっとしなかった。

ホテルに戻るとお決まりのサッポロクラシックを飲みながら、
このブログの更新に励んだことである。

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北海道行きは中止

本日より北海道に行く予定だったのだが、
諸般の事情により中止とした。
2年ぶりで楽しみにしていたのだが、しかたがない。

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2年ぶりの北海道

来週1週間、夏休みが取れたので2年ぶりの北海道に出かける。
春以降身辺にいろいろなことがあり、心身ともに疲れきっているのだが、
リフレッシュしてきたいと思う。

通常ならば3泊4日のスケジュールだが、上記の理由もあり1日短縮。
札幌と釧路に宿泊する2泊3日となった。

今月末で廃止されるまりもに乗車したかったが、
寝台券は既に入手できず、26年ぶりの座席夜行は今の体にはキツそうで、
あえなく断念するに至った。

故・宮脇俊三先生の好きだった夜行で道東に降り立つ汽車旅を一度体験したかった。
さよなら、まりも。さよなら、道内夜行。

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