« February 2008 | Main | April 2008 »

国鉄時代 vol.13 発売

季刊の「国鉄時代」vol.13 (2008年5月号)が発売となった。
初めて発売されてからちょうど3年が経つ。
確か茅ヶ崎駅前の書店で手に取ったのが購入のきっかけだったと思うが、
つい最近のような気がするのに、もう3年も経ってしまったのかと思う。

今回の特集は「山陽路を行く」。
C59やC62が山陽本線で活躍していた頃の写真が満載。
特急かもめの客車編成の変遷など、模型化に役立ちそうな資料もある。
DVDは奥中山、矢立峠で奮闘するD51や貴重なカラーの青大将、特急はとなど。

読者の平均年齢は40代以上が大半を占め、
10代、20代読者はほとんどいないようであるが、
まあ仕方のないところであろう。

国鉄時代 2008年 05月号 [雑誌]

ネコ・パブリッシング

| | Comments (0) | TrackBack (0)

寝台急行銀河ラストラン

3月14日をもって寝台急行銀河は廃止になる。
駅まで見送りにいこうかと思ったのだが、
最近は罵声が飛び交い殺伐とした雰囲気になっているとの由で、TVニュースのはしごとなった。

テレビ朝日の報道ステーションではその放送時間帯を生かして、
東京駅からの発車の模様を生中継していた。
最後の発車は非常に感慨深いものがあった。

銀河の59年という歴史を考えれば、
自身の27年間で8回乗車というのはあまりにもわずかな体験ではあるが、
それでも十分な思い出の詰まった列車だった。
もう思い出の中にしか存在しないというのがあまりにも悲しい。
さよなら銀河。
廃止が本当に残念でならない。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

京都から敦賀へ

北陸三県は未だ訪れたことがない。
せっかく京都まで来ているし、まだ日も高いので敦賀に向かうことにした。
福井県の入り口?で北陸にご挨拶である。

時刻表を見て15時40分発の特急雷鳥に乗るつもりで特急券を買い、改札を入る。
どうしたものか、案内表示では16時10分の特急サンダーバードが次の列車として表示されている。
改めて時刻表を確認すると、雷鳥は日曜のみの運転とある。
しばらく遠出をしていなかったせいか、時刻表の臨時列車の表記を見落とすというミスをしたようだ。
何とも情けない思いでホームのベンチに座り、40分ほどを過ごす。
昼間は曇りがちだったが徐々に晴れてきて、暖かい陽気なのは幸いである。

自由席乗り場の前に列ができ始めたため、
そんなに混雑するのかと自分も列に並ぶ。
ほどなくやってきたサンダーバードは、なるほど自由席もほとんど埋まっている。
琵琶湖が眺められる右側窓際の席は確保できそうもなかったのでデッキに立つ。
敦賀までは50分ほどだから、景色の見えない席に押し込められるよりも、
立ったままで車窓を楽しめる方がましだ。
112_1270
湖西線の高架に入ると、電車はスピードを上げて快調に走る。
西大津のあたりはマンションが林立し、ベッドタウン化していることが伺えた。
やがて家々の向こうに琵琶湖が姿を現す。
徐々に琵琶湖が車窓に迫ってきた。
すっかり海沿いを走っている感覚になるが、対岸にそびえる山々が見える。
あれは伊吹山だろうか。下の方は霞んでおり、幻想的に浮かび上がっていた。

田畑の雪が目立ち始め、近江今津を過ぎると完全に雪に覆われるようになった。
空は晴れ渡り、夕日を浴びているものの完全に雪国の様相を呈している。
北陸本線と合流する近江塩津のホームは、112_1272
故・宮脇俊三先生が「最長片道切符の旅」で書いていたように、
ホームにも雪が積もり人影はなかった。

ところが福井県に入ると急に雪が見られなくなった。
周囲の山々には雪が残っているのだが、平野部からはきれいに消えている。
汽車駅の雰囲気がある敦賀駅に降り立ち、駅前に出ても雪は見当たらない。
駐車場の隅に積み上げられた塊があるだけだった。
雪の降りしきる街をイメージしていたので少々拍子抜けである。

街中を散策すると名物ソースカツ丼のヨーロッパ軒という店があった。
以前何かで目にした記憶があり、入ってみたくなったが、
帰りの特急しらさぎの時刻が気になるのと、駅弁を買う予定があるので見送り。
今度敦賀に来る機会があれば、ぜひ入って食べてみたく思う。

敦賀駅に戻り、名物駅弁の元祖鯛鮨の高級版である鯛の舞を購入。
3分遅れでやってきた特急しらさぎは通路側の席を確保するのがやっとだったが、
米原までは30分あまりと短いのでさっそく箸を使う。
鯛鮨は駅弁フェアで何度か買って食べたことがあり、お気に入りの一品であるが、
鯛の舞は木箱に入り、元祖鯛鮨より肉厚になっており、やはり美味しい。
全国の押し寿司の駅弁ではベストではないかと思う。
車窓は暗くなり、琵琶湖の風景はほとんど確認できなかった。
小浜線あたりに乗りにくる時に楽しむこととしておく。

電車の遅れで乗り換え時間が短くなったことと、
米原駅の改良工事で通路が狭くなっていることもあり、
新幹線ひかりの自由席には発車間際にようやくたどり着いた。
既に禁煙車の席はぎっしりと埋まっている。
またデッキに立つこととなってしまった。
しかし名古屋で降りる客が結構あり、何とか座ってあとを過ごすことができた。

家に帰って数えれば、この日は22本の列車に乗った。
昨年1月の関西遠征時の25本には及ばないが、
それでも物好きを感じさせる数字である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

京都にて

東西線の終点、太秦天神川で電車を降りる。
1月に延長開業したばかりで新しい駅だ。
地上に出て京福電鉄に乗り換えようと思うのだが、線路が見当たらない。
路面に目をやってみると、複線の線路が見えた。
このあたりでは併用軌道となっているのだった。
嵐山方向に少し歩くと、専用軌道にさしかかったところが蚕ノ社駅だ。
しばらく待つと単行の電車が到着。
25年前に乗車した時の記憶はすっかり失われていた。

住宅街を走って嵐山駅に着いた。
土産物屋が並ぶ通りを歩いて嵐山を散策する。
竹林を抜けて山陰本線を渡るあたりは記憶が残っていた。
中国語を話す団体が目立つ。
近年どこの観光地に行ってもよく見かける光景だ。
25年前とは様変わりしてしまったと思う。
112_1254_2
観月橋を渡ると観光客も少なくなる。
細い道を辿るうちに阪急の嵐山駅に出た。
桂駅まで運ばれ、河原町行きに乗り換える。
河原町で下車した頃にはもう1時を過ぎており、昼食を取ろうと思う。
近くに尾張屋という著名な蕎麦屋があるのでそこへ向かう。
店に入り名物という宝来そばを注文する。
出雲の割子そば風に重ねられた椀の一つずつに薬味をのせ、
つゆをかけて食べるものである。
割子そばは4年前に松江を訪れた際、何度か食べているのだが、
この宝来そばは薬味にバラエティがあり、つゆが甘口なのが少々異なるところか。

満足したところで京阪の四条駅まで歩く。
このあたりを訪れるのは11年ぶりだ。
京阪京津線が部分廃止になる直前に発作的に来てしまった。
つい最近のような気がするのにもう10年以上経っているとは信じられない。

四条から出町柳まで運ばれる。112_1258
出町柳で降りて橋を渡る。
鴨川の穏やかな流れが実に京都らしい。
山城国一の宮の下鴨神社(賀茂御祖神社)に参拝した。
参道を取り囲む森は糺(ただす)の森と呼ばれ、世界遺産にも登録された由。
鬱蒼と茂った木々は古来の姿を今に伝えている。
非常によい雰囲気で自然と厳かな気持ちになった。
やはり京都は日本人の魂のふるさとであると感じたことだ。

出町柳から京都駅に向かうには2回乗り換える必要があるのだが、
乗り換えが1回で済む東福寺へ向かった。
特急のテレビカーの車両に乗り、七条で普通に乗り換えて東福寺に降りる。
東福寺からは奈良線で京都まで一駅である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

大阪から京都へ

銀河で大阪駅に着いたのち、大阪環状線で京橋へ向かう。
17年前、1年前と同じように駅前のマクドで朝食を済ませ、
地下鉄の長堀鶴見緑地線に乗る。
12年前に鶴見緑地まで乗車していたのだが、
その後門真南まで延長されたため、一区間だけが未乗になっていたのだ。
ラッシュとは逆方向のため空いているのではないかと思った車内はかなり埋まっている。
前回乗車時は土曜だったからかなり印象が違う。
それでも少しずつ乗客が降り、鶴見緑地を出るとがらんとした。

門真南で降りて地上に出る。
駅の周囲は雑然として開発途上の雰囲気だが、
すぐ近くに卵型の巨大な建造物が見えた。
なみはやドームと呼ばれ、橋下新府知事に無駄な箱物として槍玉に挙げられているらしい。

すぐに折り返して京橋に戻った。
ここからは未乗路線の片町線に乗る。
近年は学研都市線と呼ばれているようだが、国鉄世代としては片町線の方がしっくりくる。
四條畷行きの各駅停車に揺られ、四條畷からは快速の木津行きに乗り継ぐ。
沿線は郊外の住宅地といった感じだが、
故・宮脇俊三先生が「最長片道切符の旅」で書いているように、長尾を過ぎるとローカル色が強まった。

木津からは奈良線で宇治へと向かう。
ところが同じホームから発車する関西本線の加茂行きに間違って乗ってしまった。
慌てずに時刻表を確認すると次の加茂駅ですぐに折り返す電車があり、
当初乗る予定だった奈良線の電車の一本あとの快速に乗ることができる。
この快速は宇治で上記の電車を追い越すため、
結果的には宇治の到着時間はほとんど変わらないのであった。
それほど急いでいるわけではないし、細かな時間は気にしなくてもよいのだが、
やはり最初に予定したスケジュールが乱れると落ち着かないものだ。

奈良線は26年前に乗車しているのだが、ほとんど記憶がない。
まるではじめて乗った路線のような感覚で宇治まで運ばれた。
車窓は冬枯れの景色だが、ときどき梅や桃の花が彩りを添えた。
宇治駅で下車し、構内の案内図を見て京阪の宇治駅へと歩く。
10分弱ほどで着いた。

京阪宇治線は六地蔵から宇治が未乗である。
六地蔵は24年前の修学旅行で宿泊したホテルの最寄り駅だったことから、
中書島から六地蔵の区間を乗っていたのだった。
名産の宇治茶の畑などを見ながら六地蔵に着いた。

24年前の記憶はあまり定かではないが、
川沿いの道を歩いたことは覚えており、それにしたがって歩いてみた。
ホテルの付近は当時はなかったはずの大きなスーパーが建ち、
周辺のビルも増えているようである。
そして何といっても、当時宿泊したホテルが閉鎖されていたのが印象的だった。
24年という月日はすべてを変えてしまった。

しみじみとしながら地下鉄東西線の駅へとエレベータを降りた。
京都では25年ぶりの(このあたりでは2x年ぶりのことだらけである)嵐山散策を楽しむ予定だ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

さよなら銀河

いよいよ2週間後に廃止が迫った銀河。
前回書いたように28日夜のB寝台の指定券を入手し、お別れの乗車をした。

途中駅からの乗車なので、既にほとんどの寝台が埋まっている。112_1238
この10数年くらいでは記憶にない乗車率だ。
時間も遅いのでさっそくシーツと枕をセットする。
前回、前々回の乗車はA寝台だったから、銀河のB寝台は10年振りである。
それまで寝台列車はB寝台が中心ということもあり、狭さもさほど気にならない。
寝台に横になり、過去の銀河の思い出を振り返った。

初めて乗車したのは27年前の春休み。
神戸で開催されていたポートピア'81見物に出かける時だった。
当時は20系の狭い3段寝台だったが、
寝台列車に乗ることのできる嬉しさで全然気にならなかった。
通路の椅子に腰掛け、ぼんやり流れゆく夜の景色を眺めて不思議な気分でいた。
いつもは家で眠りにつく頃、列車に乗っている。
そんな非日常の体験を味わった。

以降、1982年、1991年、1996年、1998年、2004年、2007年と乗車してきた。
途中で10年近いブランクもあるし、
平均すると3~4年で1回しか利用してないけれど、
ふらりと関西方面に出かけるには大変重宝したのである。

寝台列車ではなかなか寝付けないのが常だったが、
ここ数日寝不足気味だったので熱海停車の記憶がないまま眠りについた。
途中の運転停車時に何度か目覚めたものの、かなりよく眠ることができた。
熟睡とはいえないまでも、これまでの寝台列車乗車時より快眠できたのではないかと思う。
最後の乗車で一番よく眠れたというのは何とも皮肉である。112_1242
列車を堪能する時間がその分短くなってしまうのだ。

6時20分の放送開始の少し前に目を覚ました。
ハイケンスのセレナーデが何とも懐かしく響く。
朝日を浴びながら大阪駅へ向かう。
淀川の堤防にはぎっしりとカメラの砲列があった。
あと少しで降りてしまうのが名残り惜しい。
このまま何時間も乗っていたかった。

廃止は時代の流れで仕方ないことなのだろうか。
それでも釈然としない思いがある。
国鉄が民営化しても分割されていなかったら、長距離列車はもっと残っていたのではないかと。
今となっては後の祭りである。
112_1246
大阪駅に降り立ち、ブルーの車体をしっかり目に焼きつけて、
ゆっくりとエスカレータでホームを立ち去った。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

« February 2008 | Main | April 2008 »