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弥彦線に乗り彌彦神社へ

土曜日の天気予報は思わしくない場所が多いが、
新潟地方に晴れマークがあるのを見て上越新幹線に飛び乗った。
昼食用の駅弁は旨囲門で購入した米沢のすきやき弁当である。
割と歴史のある弁当だが、今は石灰で温まるタイプも発売されている。

しとしとと雨の降る関東平野を抜け、国境のトンネルを出ると、110_1013
雲は多いものの青空が見え、陽射しもしっかりとあった。
5年前に上越線に乗ったときに感動させられた、
残雪をかぶった越後山脈と、その姿を映し出す田植え直後の水田も楽しめて何より。

長岡で上越線に乗り換える。
沿線は水を張った水田が続く。
個人的にはこの時期が日本の田園風景で最も美しいのではないかとも思う。
水と緑が美しい日本の国土をかたちづくってきたのだ。
それを考えれば水の恵みをもたらしてくれる雨を毛嫌いするわけにはいかないのだけれど、
鉄道の車窓を楽しむ時はやっぱり晴れてくれた方がいい。

未乗だった弥彦線に東三条で乗り換える。
115系の4両編成と長めの列車だったのが意外だった。
駅を出るとしばらく高架線上を走るのにも驚かされた。
9年前に東三条~燕三条間が高架化されたとの由。
ゆったりと流れる信濃川を渡る。
燕三条の薄暗い高架下の雰囲気は、陸羽東線の古川を思い出したことである。

吉田で弥彦行きに乗り換える。
こちらは2両編成のワンマン運転だ。
目の前に立ちはだかる弥彦山に向かって突き進んでいく。
山の麓まで来たところで左にカーブして終点の弥彦駅に到着。
全長が17キロ程度の路線なので、あっけなく完乗してしまった。

空にはかなり雲が増え、陽射しも弱々しくなったけれど、
そのままUターンするのは名残惜しく、彌彦神社に参拝することとした。
弥彦駅舎は神社を模したデザインでユニーク。
さて、駅前には廃墟のホテルと旅館が左右に対峙している。
これには感心しないが、その先は営業中の旅館や土産物屋が立ち並んでいた。
坂を登り、2回ほど角を曲がると門前町兼温泉街の街並みが広がる。
前方に赤い鳥居が見えた。

駅から15分ほど歩いて鳥居の前に来た。110_1021
中に入ると鬱蒼とした杉林が参道を取り囲む。
相当の年数が経っているようで、かなりの高さである。
湿気が多く蒸す気候だが、参道はひんやりとしていて身が引き締まる。
手と口をすすぎ、参拝する。
昔はこういったものに関心がなかったのだが、
歳をとるにつれ信心深くなってしまったようである。

すっきりと晴れていればロープウェーで弥彦山に登ろうと思っていたのだが、
完全に曇ってしまったので気持ちが萎え、そのまま弥彦駅に戻る。
親鸞聖人の清水などを見ながらのんびり駅まで戻った。
それでも1時間近く時間がある。
駅に隣接する弥彦公園を散策するなどして過ごした。

ようやく電車に乗り込み、吉田で乗り換えた。110_1024
越後線でこの駅を訪れたのは去年6月のこと。
もう1年近く経ってしまったわけで、何度も書いているように1年が本当に早い。
燕三条で下車して上越新幹線に乗る。
来月当地で白根大凧合戦が行われるとのことで、
駅構内にいくつも大きな凧が展示され、なかなか迫力があった。
それらを眺めながらホームに上がり、Maxときで帰路についたことだった。

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湘南モノレールと小田急江ノ島線

大船から湘南モノレールに乗る。
もう長い間乗っていない路線である。
小学生時代に参加していた少年野球チームで、江ノ島に遊びに行った時以来か。
20数年前に乗車したのが最初で最後だったことになる。

当時の記憶はほとんど残っていないから、初めての路線に乗る感覚である。
高架上を走るうえ、車内はセミクロスシートなので、車窓が眺めやすい。
ぐんぐんと加速していく。
鎌倉らしく、ゆるやかな起伏が続く中に緑の多い住宅街が展開される。
雲が多かった天気も回復し、新緑が眼に眩しい。

湘南深沢を出ると切通し区間を往くようになり、トンネルをくぐる。
車窓がめまぐるしく変化してなかなか楽しい。
沿線は環境の良さそうな住宅街が続いている。
目白山下で車窓左手に海が見えた。
トンネルをくぐった後の景色に期待したのだが、
高層マンションが乱立して海は眺められず、やや興をそがれたことだ。

階段やエスカレーターを乗り継ぎながら地上に下りる。
江ノ電の踏切を越え、カラー舗装の道を歩く。
カラフルな柄のアロハを吊り下げた店などもあり、
海浜リゾート気分を盛り上げる。
やがて前方に江ノ島が姿を現す。
しかし右手に曲がり、弁天橋を渡る。
風が強く波が高いので、河口近くに係留された漁船などは
激しくしぶきがぶつかる音を立てていた。

竜宮城を模したといわれる駅舎に入る。
臨時の改札口が備わっているところが観光駅らしい。
ほどなくやってきた各駅停車に乗る。
6両編成の電車の座席はほとんど埋まるが、
どことなく品の良い乗客で占められているような気がするのは気のせいか。
夏場は大幅に車内の民度が低下するらしいが。

落ち着いた住宅街を電車は走る。
小田急江ノ島線は相模大野~藤沢は1987年に乗車済みだったが、
藤沢~片瀬江ノ島は未乗のままだった。
一時は沿線に住んでいたこともあったのだが、
なぜか乗る機会がなかった。
藤沢に到着し、江ノ島線および小田急電鉄の路線は完乗となった。

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交通博物館、閉館

今月14日に閉館した交通博物館。
かつてその入り口脇に全国の記念切符(国鉄のみ)を販売するコーナーがあり、
記念切符収集に燃えていた中学2年生の頃は足繁く通ったものである。
すっかり遠くなってしまった1980年代前半の話だ。
でも館内に入ったことは1回くらいしかなかったはずで、
今となっては展示内容等はよく覚えていない。

そんなこともあり閉館前に訪問しておきたいと思った。
しかし、「電車男」のヒットあたりからマスコミで散々取り上げられるようになり、
すっかり観光地化した秋葉原には足が向きにくくなった。
そのうちに・・・と思っていたのだが、結局のところ再訪が適わなかったのが残念だ。
旧万世橋駅跡にして、レンガ造りの高架橋が連なるあの環境は独特の雰囲気があった。
喧騒の街と化した秋葉原ではオアシスのような場所だった。

来年秋には大宮に鉄道博物館がオープンする。
鉄道の街である大宮を選んだ関係者には敬意を表する。
貴重な実物の鉄道車両が多く展示されるとのことだ。
交通博物館閉館は残念だが、鉄道好きとしては鉄道に特化し、
より内容が充実した鉄道博物館に期待したいと思う。

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Nゲージブームの思い出

以前ブルートレインブームのことを書いたが、
そのブームを引き継ぐような形でNゲージブームというものがあった。

僕がNゲージの車両を買ったのは小学校5年の夏休みのことだった。
当時同じクラスには、ほかにNゲージの車両を持っている者はいなかったように思う。
他のクラスに一人か二人いることは確認していた。
それから半年以上経ち、6年生になる頃には同じクラスや他のクラスを含め、
10数人がNゲージャーとなっていた。
僕の家で一緒に遊んでいた仲間もいたが、
あまり関わりのなかった者たちにも浸透して、いつの間にかその数が増えていったのだ。
全国各地でも同じような状況が展開されていたのだろうか。

パワーパックやレールは持っておらず、車両を数両持っているだけの者が多かったが、
仲間の家に集まり、車両やレールを持ち寄って走らせたことを思い出す。
小学生のわずかな小遣いでは、みんなの車両を合わせてもまともな編成にはならず、
電車や客車、貨車がごちゃまぜだったりした。
それでもあの頃は十分楽しかった。

しかしブームはあまり長続きせず、小学校を卒業する頃には、
車両を数両持っている程度だった者たちはその車両を手放し、
結果として僕のもとに先頭車だけの電車や1両だけのブルートレインが集まることとなった。

学区の関係で同じ中学校に進んだ仲間があまりおらず、
同好の士が中学校では見つからなかったが、
模型鉄のほか、乗り鉄、撮り鉄を堪能し、充実した毎日を送った。

やがて中学校を卒業し高校に入る頃になると、鉄道ファンでない友人の影響で、
音楽など別の趣味が中心となり、鉄道模型も実物の鉄道からも興味が離れていった。
すっかり大人になってから趣味が復活するとは、まさか思いもよらなかったことである。

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JR九州完乗の旅(4日目)

いよいよJR九州完乗の日である。
高見馬場電停から市電に乗り、鹿児島中央駅前で下車する。
ここは軌道敷に芝生が植えられており、ヨーロッパの路面電車のようで美しい。
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発車間際だったので九州新幹線つばめは通路側の席だったが、
元々車窓に期待できない路線なのでまあよし。
木製シートに西陣織のモケットなど落ち着いた内装が好感触。
川内のみ停車の列車なので、あっという間に新八代に着いてしまった。

これでJR北海道に続き、JR九州も完乗となったのだけれど、
自由席だったので慌しく向かい側ホームのリレーつばめに乗り込むほかなく、
感慨に浸る暇もなかったことである。
できれば前日の志布志駅あたりで完乗したかったというのは贅沢なのかもしれない。
九州には延べ8回の訪問での達成となった。

結局リレーつばめでは座れず、熊本まで20分ほどをデッキで立って過ごした。
つばめとそれを受けるリレーつばめの座席数のバランスはきちんと考慮されているのだろうか。
小さい子供のいる家族連れもデッキで立たされていた。
GW中の五連休最初の日という混雑がピークの時期とはいえ、いかがなものか。
JR九州には苦言を呈しておく。
僕が熊本で下車したとき、そこから乗車しようという乗客が長い列を作っていた。
すぐに階段を上がってしまったので未確認だが、あの列が全員乗り切れたのかどうか。

その熊本駅であるが、ホーム横に立っていた煉瓦造りの機関庫がすっかり解体されていた。
九州新幹線工事に伴うものである。
がらんとした更地がわびしかった。

そこから普通列車に乗り換えて上熊本に降り立ったが、109_0996
こちらの明治以来の木造駅舎も既に解体されてしまっていた。
一昨年放送のNHK「最長片道切符の旅」でも紹介されたのだが、何とも残念である。
旧駅舎の一部の部材は隣接する市電電停の上屋に転用予定との由だが、完全保存してもらいたかった。

ここからは熊本電鉄を完乗する。
かつては菊地まで走る路線だったが、20年前に御代志までの半分ほどの距離に短縮された。
上熊本駅で待っていると元東急の5000系を両運転台化した車両が現れた。
北熊本までの間を単行で運行しているようである。
沿線は住宅街が切れ目なく続くが、途中駅での乗り降りもあまりないまま北熊本に着いた。

北熊本から乗り換えた電車は妙に懐かしい。110_1002
かつて都営三田線で走っていた元東京都交通局6000形の電車であった。
勾配区間と小さなカーブがいくつも続き、車輪を軋ませながらのろのろ走る。
並行する道路を走る自動車が追い抜いていくのが切ない。
地下鉄線内を快走していた時代から思うと、あまりにかけ離れた第二の人生であった。

次第に緑が多くなり、のびやかな景色が広がる。
今日はよく晴れ、汗ばむ陽気だ。
終点の御代志に到着する。
無人駅でホームの片側を鉄道、別の側をバスが使用している。

再び北熊本まで戻り、20メートル級の元地下鉄車両が走るのが信じられないような、
狭い道路の併用区間を通り、藤崎宮前駅に到着した。
パチンコ屋に庇を貸して母屋取られる状態なのが空しい。
熊本電鉄LRT化計画の記事を以前書いたのだが、
行政の支援を受けられなければ鉄道廃止というかなり切羽詰ったもののようだ。
沿線は熊本の住宅街を結んでおり、
LRT化で利便性向上を図れば乗客増も期待できるのではないか。
実現できることを願ってやまない。

熊本での残りは熊本市電の未乗区間、通町筋~健軍町に乗ることである。
その前にちょうど昼時でもあり、
藤崎宮前駅からほど近い著名な熊本ラーメン店こむらさきでラーメンの昼食とした。
豚骨スープではあるがそれほどくどくなく、以前札幌で食べたとん塩を思い出した。

アーケードを歩いて通町筋電停から市電に乗り込む。
床が木製の古びた電車であった。
広い通りに市街地が延々と続く。
かつては福岡を上回る九州第一の都市だったことがうかがえる。
現在JFLのロッソ熊本とJ1アビスパ福岡が対戦する日を楽しみにしたく思った。

健軍町もなかなかの繁華街で熊本の市街地は奥が深い。
電車を1本見送ってやってきたのは2000年暮れにも乗った低床式電車である。
低い視線から街並みを眺められるのが楽しい。
しかし同じ区間を折り返すとあって、時折りうとうとしながら過ごしてしまった。

熊本駅前で下車し、ラーメン店のはしごをすべく駅近くの黒亭に向かったが、
十数人の行列を見てしまい、すぐに回れ右した。
2000年暮れに訪れた時には待たずに入れたくらいなのだが、
この5年余りで何かあったのか。さすがにGWということなのか。
色々考えながら駅に戻り、特急有明で博多まで運ばれた。

博多駅前は博多どんたく会場として賑わっていた。
説教大好き武田鉄也率いる海援隊がステージに登場し、母に捧げるバラードを歌っていた。
その歌がバックに流れる中、空港に向かって地下鉄の階段を下りたことである。

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JR九州完乗の旅(3日目)

今日は日南線と大隈線転換バスに乗るだけである。
日南線の本数の少なさと遅さもあり、やや非効率な一日だ。

無料サービスの朝食をホテルでとり、宮崎駅の高架ホームに上がる。
やってきたのはキハ40とキハ31の2両編成だが、キハ31は次の南宮崎で切り離すとの由。
田吉までは2003年末に乗車しているから、その先が未乗になる。
空は雲が多いが、昨日より陽射しは強い。

道路沿いや駅前には亜熱帯性の木が植えられて南国ムードを盛り上げる。
内海、小内海あたりからようやく海が望めるようになった。
4年ほど前に流れていた緑茶飲料のCMのロケ地だったのが印象的だった伊比井を過ぎる。
北郷から小学校低学年と思しき集団が乗り込んで車内がにぎやかになる。
おそらく普段はマイカー利用でほとんど鉄道を利用する機会はないのだろう。
珍しさに興奮している様子が伝わってきてほほえましい。
この中から少しでも鉄道に興味を持つ子が現れてくれますように。

この列車は終点の志布志には行かず南郷どまりなので、飫肥で途中下車と決めてあった。
志布志行きの列車が着くまで1時間半ほど、今回の旅ではゆいつ観光らしい観光をする。

小さな城下町の飫肥は商店街の建物を白壁造り風に改装を進めている。
その表通りから一歩入ると、石塀に囲まれた武家屋敷街が広がった。
堀には鯉が泳ぎ、心を和ませる。
時間があまりないので資料館の類や城跡の見学はあきらめ、
武家屋敷が点在する風致地区を散策する。109_0971
緑が多くゆったりした敷地に、古びた家々が立ち並ぶ通りは非常に心地よい。
慌しい今回の旅の中、ひと時の安らぎを得た。

陽射しが強くなり汗ばむほどだったので、冷たいそばと名物のおび天の昼食とした。
おび天はさつま揚げに似ているが、豆腐と黒砂糖を使っているので、
ふんわりと柔らかく味が濃厚だった。

飫肥駅に戻り、日南線の旅を続ける。
海岸線に近づくとすぐにトンネルに入り、あまりじっくりとは海を見せてもらえない。
その繰り返しが続いたためか、睡魔に襲われるようになり、うとうとしながら過ごす。
さらりと埋まっていた車内も串間で大量の下車があり、がらんとしてしまった。
宮崎と鹿児島の県境が近づいており、T村先生言うところの県境現象であろう。

志布志で降り立った乗客はわずかだった。
かつては日南、志布志、大隈の三線が集まるターミナルだった志布志駅も、
今では敷地が縮小され、大部分はスーパーマーケットや公園に変じてしまった。
機関区も備えた鉄道の敷地はそれだけ広かったのかと思う。

予想していたとおり、鹿屋方面のバスにはうまく乗り継げなかったので1本後のバスとなる。
バス乗り場が駅前にないため、数分の乗り換え時間では無理そうだったのは想定内だった。
近くの鉄道記念公園に行く。
C58蒸気機関車と車掌車ヨ8000、それとなぜかキハ52気動車が連結されている。
C58とヨの保存状態はよかったのだが、問題は最後尾のキハ52である。109_0987
塗装はひび割れ、錆があちこちに回っている車体は何ともぞっとしない。
このままでは数年後に解体されてしまいそうだ。

さて、ここからは旧大隈線転換バスに乗り、大隈線完乗?を目指すこととする。
志布志から国分まで直通するバスはないので、鹿屋で乗り換えることとした。
旧鹿屋駅跡は鹿屋市役所前バス停となっているため、そこで乗り継げれば都合がよいが、
乗り継ぎ時間等の関係で鹿屋バスセンターで、国分駅前を経由する鹿児島空港行きバスに乗り継ぐ。
大隈線の跡を辿るとはいえ、バスの車窓からは特に見るべきものもない。

田園地帯や郊外ロードサイドな風景を見ながら1時間ほどで鹿屋バスセンターに到着。
老朽化で建替えが噂されているようで、古びたビルである。
周辺の建物も最近の地方都市の例に漏れず、市街地空洞化でシャッターを閉じた店が多い。
たびたび内容に言及しているが、故・宮脇俊三先生の「最長片道切符の旅」に登場する
5階建てのデパートも既に解体されてしまったらしい。
市街地再開発のビルが建設中だったのが希望の光といったところか。

鹿児島空港行きのバスに乗り込み、市街地を抜けると急坂を下り、錦江湾が眼下に広がる。
鉄道はこんな急な勾配を通れないから、どのあたりを大隈線は走っていたのか。
定かでないまま、バスは海沿いの道を延々と進む。
西日を浴びながら海岸線を走っていると、
ちょうど1年前に島原半島の西海岸をバスで走ったことを思い出す。
つい数ヶ月前のような気がするが、もう1年経っているとは・・・。

やがて左手に桜島がダイナミックに姿を現す。109_0990
大隈線が現役の頃に列車から見てみたかった。
山側にところどころ築堤らしきものが見える。
これが大隈線の跡なのだろう。

海にもそろそろ飽きてきた頃、内陸部に入って国分駅前に到着する。
ギリギリのタイミングで鹿児島中央行きの電車には乗れなかった。
ホームにぼんやりと座って30分後の電車を待つ。
これも予想していたことではあるが、
どうも非効率な一日のままで終わってしまったようで少々うんざり。
おまけにやってきた2両編成の817系電車は満席で、
鹿児島中央までの40分あまりは立ちんぼで過ごす無聊となった。

宮崎~鹿児島中央は特急きりしまで2時間あまりのところ、
列車4時間、バス3時間をかけてたどり着いたことになる。
これも乗り鉄の性でいたしかたなし。
天文館近くのホテルにチェックインし、夜はくろいわで鹿児島ラーメンを食した。

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JR九州完乗の旅(2日目)

まずは西鉄大牟田線を完乗するため、ホテルを出て西鉄福岡へ向かう。
朝のラッシュ時とあって混雑しているが、さすがに首都圏よりは余裕がある。
大牟田行きの特急に乗りこむ。
転換クロスシートの並ぶ車内は立ち客も結構あった。
西鉄二日市までは8年前の夏に乗車しているのだが、その先が未乗となっていた。
沿線は特筆すべきところもないが、天気がどうもすっきりしない。
予報は晴れのはずだったが雲が厚く、薄日が射す程度である。

西鉄久留米で大量に下車し、車内は閑散とした。
車窓にクリークが目に付くようになると、西鉄柳川である。
水郷地帯なのだけれど、水田ではなく麦畑が目立つのがちょっと不思議である。
西鉄福岡を出て1時間あまり、どことなく煤けた大牟田に到着した。

次はJRの久大本線に乗るために大牟田から引き返す。
本来なら分岐駅の久留米まで戻ればよいのだけれど、
かしわうどんとかしわめしに心惹かれ、鳥栖まで戻る。

かしわうどんを朝食とし、昼食にかしわめしを買う。
鳥栖からは特急ゆふいんの森に乗車する。
JR九州の誇る観光列車とあって、車内はグループ客中心でにぎやか。
フリースペースも多く配されていて遊び心が一杯だ。
現在の日本の列車では数少なくなった供食施設(ビュッフェ)があるのが貴重である。
昼時にさしかかるとあって、ビュッフェは弁当などを求める客で盛況だった。

故・宮脇俊三先生が「最長片道切符の旅」で書いていたとおり、
植木や柿の木が目立つ車窓を列車が往く。
日田からは未乗区間となるが、山あいの渓谷がのびやかな眺めだ。
賑わいが一段落したのを見計らってビュッフェに向かい、コーヒーを求める。
席に戻って飲んでもいいが、車窓に向かって机と椅子が並ぶサロンでくつろぐ。
汽車旅の楽しさを教えてくれる素晴らしい列車だ。
乗客はみな満足している様子だった。
109_0943

やがて個性的なシルエットの由布岳が見えてきて由布院駅に到着する。
さすが一級の観光地だけあって乗客はほとんどここで下車した。
僕の乗っていた車両には数人が残るのみとなった。
回送列車のような状態で残りの区間を運ばれた。

日豊本線には大分で乗り換えればよいのだが、
特急にちりんは始発駅から乗りたかったので別府まで乗りとおす。
鳥栖といい別府といい無駄が多いようだが、
どちらにせよ同じ列車に乗ることになるので、料金は別として時間のロスはないわけである。

別府からの特急にちりんは、特急ソニックからの乗り換え客を加えて車内はさらりと埋まった。
日豊本線は大分から宮崎までの区間が未乗である。
大分は高架化工事が始まっており、駅の前後に高架橋が立ち上がっていた。
しばらくは遠くに工業地帯を見ながら進む。
大分もずいぶんとマンションが多い。
臼杵を過ぎると美しい海岸線が見え隠れする。
今回は乗りつぶしを優先するため途中下車できないが、
臼杵で下車して石仏を見てみたかったと思う。

佐伯からは徐々に山間部へと入っていく。
いわゆる宗太郎越えの区間である。
かなり山深いサミットを越えると少しずつ風景が開けてくる。
日向の国に入ったが、空は雲に覆われたままである。

高千穂鉄道の列車が発着していた延岡に着いた。
座席が反対側だったので、高千穂鉄道の乗り場は詳しくはうかがえなかった。
神話高千穂トロッコ鉄道の運行再開はGWに間に合わなかったのが残念だ。
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車窓左手に海岸線が現れ、さらに黒ずんだ高架線が平行し始める。
かつてのリニア実験線跡である。
畑の中で唐突に高架が途切れていたのが印象的だった。

別府から3時間あまりで高架の宮崎駅に到着した。
福岡から宮崎まで約9時間かけてやって来たことになる。
ゆふいんの森が楽しかったためか、それほど疲れは感じなかった。
宮崎は2003年暮れ以来2年4ヶ月ぶりとなるが、
もうそれほど経ってしまったのかと思う。本当に月日の経つのが早くなった。
駅前のホテルに荷を解き、前回食べ損ねた宮崎名物のチキン南蛮を味わったことだった。

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